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玉屋ブログ

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「人を愛する」ということのお話。

2018/05/22

いとこ(27歳男)が、大腸がんで死んだ。
その彼女は、従兄弟ががんと分かってから、仕事もあったのに毎日病室に訪れ付き添った。
結婚の約束もしていたんじゃないかな。
食べ物を、「お口アーン」とか、やり合ってじゃれてたり、がんが侵食して痛む従兄弟の腰や背中を、彼女がさすってあげたり。

そのころ、10代のガキだったせいもあるけど、従兄弟が死ぬなんてまったく想像つかなかった。
「きっとこの2人はあと数年もしたら結婚して、幸せな家庭築くんだろーな」
なんて、見舞いにいくたび幸せな想像しかできなかった。
普通にうらやましかった。

しかし、従兄弟の病状はどんどん進んでいった。みるみるやせて、目ばかりぎょろぎょろになって、身内のわたしでも正視できなかった。
はやく終わってほしかった。人の命のもろさが怖かった。
でも彼女はずっとそばにいた。従兄弟のやせ細った手を握って、抗がん剤の影響で、ぼろぼろに禿げたあたまにかぶる毛糸の帽子を作ったり。

わたしは、怖くて怖くて病室にも入るのもいやで病室に入っても、彼女の後姿ばかり見ていた気がする。
従兄弟は、癌がよくなったらどこかへいこうとか、あれ食べに行こうとか今度の携帯の最新機種を買いたいとか、来ない日のことばかりしゃべった。

彼女は笑顔で、「絶対いこーね」「わたしあれ食べたい」とか、いってた。
気休めだろって思ったけど、彼女の目は本気だった。
今、思い返せば、彼女はほかにどうすることもできなかったんだと思った。
彼女も怖かったのに、好きな人を失うことが、きっと自分が死ぬ以上に恐ろしかったと思う。

年末に、癌が全身にまわり、肺に転移。
従兄弟は最初の意識不明に陥った。
医師は、「癌を抑える薬がある。しかし、一時的に抑える効果しかない。
苦しみがのびるだけ。私の子供が患者だったらこのまま死なせる」ときっぱり。
両親は、「せめて27歳の誕生日を迎えさせたい」と延命を望んだ。
横で、彼女はだまって、ふるえていた。

薬は効いて従兄弟は劇的に回復した。
彼女と温泉にいったり、近場に旅行いったり、新薬は2人に時間をくれた。
「癌が治った」とはしゃいでいたけど、一時的だというのは本人が何よりも知っていたと思う。
最後のときをすごす2人に、両親も親戚もなにもいわず見守った。

春、従兄弟が3度目の意識不明に陥った。
あまりの痛みに子供のように泣き叫ぶ従兄弟を、彼女と従兄弟の母親が押さえつけ、抱きしめた。
「ここにいるよ。ひとりじゃないよ」
彼女は、死の激痛にあえぐ従兄弟の顔にキスして、手足をさすった。

医師が死亡宣告し、遺体が自宅に搬送されるまで、彼女は従兄弟を抱いた。

何かにとりつかれたように嗚咽する彼女をみて「人を愛する」ってこういうことかと思った。

彼女は、親戚の手前、通夜、葬式にも出られなかった。
毎年、従兄弟の墓参りには来ていた。
従兄弟が死んで数ヶ月あと、勤めていた会社をやめたことを聞いた。

数年たって、墓参りにもこなくなった。
最近、彼女が結婚し、1児の母になったことを聞いた。
寂しく思った反面、ほっとした。
幸せになってほしいと思う。
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手遅れになるまえにのお話。

2018/05/16

俺は大好きだった彼女と別れた。
理由はシンプル。
俺が早稲田に落ちて浪人が決定したから。

「二人とも大学卒業したら結婚しようね」
こう言ってくれた彼女。
でも彼女は俺が浪人中に死んでしまった。

あれは8月を過ぎたあたりだったかな。
ぜんぜんメールも電話もこなくなって、「彼女も浪人中の俺に気を使ってくれてるんだ」
と思い、よりいっそう勉強に身を注いだ。
あと半年で「早稲田受かったらもう一度彼女に告白しよう。」
こう決めて、結構高いネックレスを買った。
受験結果は早稲田大学教育学部に合格。
まっさきに彼女の家にネックレスと合格通知届をもって向かった。

しかしそこにいたのは彼女の遺影だった。。。
一瞬で頭が真っ白になり、現実を受け止められない自分がいた。
親御さんから話を聞くとちょうど連絡が来なくなった8月あたりに、
サークルの仲間と飲み会をして急性アルコール中毒になって死んでしまったそうだ。
原因は先輩との早飲み対決の強要によるものだった。

「俺が現役で大学に受かっていたら、彼女を守ることができたのに。」
悔しさと涙と自分に対する憤りがこみあげてきてわけがわからない状態でした。
二年間思い焦がれた早稲田にようやく合格できた日なのに。。。
もうもどってこない彼女。
あんなに好きであんなに愛し合っていて結婚まで約束したのに。
俺を残して先にいくなんて・・・
いつも俺の横に居て俺を支えてくれる笑顔が可愛い彼女。。。

結局俺は、この悲しみを乗り越えられず、早稲田は2年で中退した。
8年もフリーターをやって、もう1度、中央大の法学部夜間に再入学して卒業した。
いまだに彼女の夢を見る。
お前らに一言。
「遅すぎないうちにできる限りのことをしろよ。」

俺は現役時代にできる限りのことができず、浪人さえしなければ、彼女を失わずに済んだ。

「手遅れになるまえに、最善の努力を尽くせ。」

「何が何でも、今年で合格。」

もしかしたら今、支えてくれる親が死んで、大学に入れなくなるかもしれないぞ。
現役で入っていれば。。。。

「後悔先に立たず、我武者羅に勉強しろ。」

「失っても戻ってこないかけがえのないものを失うな。」

俺と同じような辛さを味わって欲しくないから、ここを見てる奴は今年で合格を決めて欲しい。
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彼女の遺言のお話。

2018/04/29

大学時代の同級生仲間で、1年の時から付き合ってるカップルがいました。
仲良しで、でも二人だけの世界を作ってるわけじゃなく、みんなと仲良くしてました。

私は女の方の一番の友達だったんだけど、彼氏とも仲良くしてたわけです。
大学を卒業しても交流があったし、何度か会った時も二人は一緒で、
本当に仲良しだなァって思ってたわけです。最後に3人で会った時、
「結婚しないの?」って聞いたら、「うん、まあね…。」とお茶を濁す様な返事。

その後、彼女が病気だった事がわかって入院して、
彼は仕事の行きと帰りに欠かさず彼女のお見舞いしてました。
私も何度も行きました。

病名は水頭症(脳腫瘍の一種?)でした。
結局、治療も空しく、彼女はこの世の人ではなくなってしまったんです…。
私たちが25歳の夏でした。

お通夜と告別式の手伝いに行った時、喪服を着てチョコンと座ってタバコを吸っている
彼に、 「…、なんて言って良いか、わかんないよ…。」と泣きながら私は言いました。
すると彼は、

「そうだね。でも、これでアイツが他の誰の物にもなら無い事が決まったしね。」
と、ニッコリと笑顔で言いました。私は耐えられなくて号泣。

それでも彼は殆ど無表情で、まあまあと私の肩を抱いてくれました。
出棺の時、「これが最後のお別れです。」って式場の人が言った途端、
彼は耐え切れなくなって、崩れるようにボロボロと涙を流し始めました。

子どもの様に、大きな声をあげて。
その姿を見て、またしても私は号泣でした。

数日後、少し落ち着いてから、彼と会いました。見て欲しい物があるって。
それは彼女が昏睡して意識を失う前に書いた、最後の手紙だったんです。彼が、

「俺はね、アイツを励まそうと思って、『結婚しようよ。』って言ったんだ。
そうしたら、アイツは『病気が治ったら結婚届けを出そうね。』って言ってた。
俺は『間違いなく治るからさ』って励まして、役所に行って結婚届け貰ってきた。
でも俺は本当はもう無理だって知ってたんだ。でも励ましたかったんだ。
アイツが死んだ日に、アイツのお父さんが黙ってこれを渡してくれた。」

と言って、私に手紙を渡してくれました。
中には見慣れた彼女の筆跡でこう書いてありました。

「うそつき。でも凄く嬉しかった。本当にそうなったらなって何度も思いました。
私にはあなたの代わりはもう見つからない。だから私はずっとあなたの物。
だけどあなたの代わりはいるんだよ。気にしないで良いからね。
落ち込んだあなたを、きっと一番励ましてくれるだろう人が誰なのかは、わかってるから。
その人にこの手紙を見せてあげて下さい。本当にありがとうございました。じゃあね!」
って。

私はその手紙を見て、人前なのにまたしてもボロボロに号泣してしまって。
彼が、「それは多分、君の事なんじゃないか?」って。

うん。私は前から彼が好きだった。

あれからずーっと引きずってる彼と仲良くして4年。
今度結婚します。
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塩だけのおにぎりのお話。

2018/04/13

自分が小坊の頃、親やじいちゃんは農作業のため学校から帰ると家にはばあちゃんしかいなかった。
だから自然とばあちゃんっ子になった。

学校から帰ると丁度おやつの時間だったのでばあちゃんはよくご飯の余りで塩だけのおにぎりを作ってくれた。
それがすごく好きで毎日楽しみに待っていた。
自分でも喜んで食べてたし、ばあちゃんも嬉しそう顔をほころばせていた。

でも中学生になって人並みに反抗期になりいつしかばあちゃんとの会話もまともにしなかった。
当然おにぎりも食べなくなった。
親に反抗はしなかったけど代わりにばあちゃんに反抗してたんだなぁと今になって思うよ。

それが中3のある日、突然旅立った。
誰にもさよならを言うことなく風呂場で静かに亡くなった。

葬式中、もう会えない、謝ることも何かしてあげることも出来ない・・・そう思った瞬間ボロボロと涙が出てきた。
死んだ直後や通夜でも泣かなかったに人目を考えず大泣きした。
多分今までの人生の中であれ以上に泣いたことは無かったと思う。

あの塩おにぎりが食べられないんだなぁと思うと今でも涙腺が潤んでくる。
あれ以上に美味いおにぎりは今でも食べたことが無いなぁ・・・
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すごろくのお話。

2018/04/10

オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。

いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。
それをばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み〜」
ばあちゃんはニコニコしながら、「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。

やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ家の事情も解消され、自分の家に戻った。
ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて、
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」
と喜んでくれた。

先日、そのばあちゃんが死んだ。
89歳の大往生だった。

遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。

モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか妖怪も混じっていたり。
「ばあちゃん、よく作ったな」
とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。
「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。
そしてありがとう。
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じいちゃんの腕時計のお話。

2018/04/09

俺さ小さい頃、一人っ子で両親共働きだったから、鍵っ子って奴だった。
だからさちょっと内気で友達もできなくてさ、よく、じいちゃんの家に行ってた。
じいちゃんはさ、会社の社長でさ忙しかったけど俺が行くと絶対遊んでくれたよ。
しかも小遣いまでくれるもんだからさ調子乗って毎日行ってた。

俺さ中学に上がって段々グレてってから、じいちゃんの家にあんま行かないようになってた。
でも、小遣い欲しいときだけは行ってた。
じいちゃんはマックのポテトが好きだったからポテト買って行けば嬉しがって、
小遣い多めにくれたりてたから、またまた俺調子乗ったよ。

そんなんが続いててさ、俺が中3の10月くらいだったかな、じいちゃんが突然倒れたって聞かされた。
俺ソッコーで病院行ったよ。そしたら、じいちゃんケロってしてたな。
なんだよ心配して損したってな感じだった。でも俺、毎日病院行ってた・・・
じいちゃん小遣いはかかさずくれるもんだから。

ある時さ、じいちゃんが俺に高校の話してきた。丁度受験だったからさ。
俺めんどいから高校行かねえって言ったらさ初めてキレられたよ。
いつも温厚なじいちゃんが初めてな。
めんどいってなんじゃ・・・逃げとるだけやろうが?男なら逃げんな・・・とか言ってた。
んでさ、いきなり戦中の話されたわけ。

じいちゃんはさシベリアで捕虜になってたんだって。そりゃもう悲惨だったと・・
その中にはさ家族を持ってた人、もうすぐ生まれてくる子供がいた人、そんな戦友も皆死んだらしい。
もう、涙も出ないくらい悲惨でさ、何度も死のうと思ったらしい。
けど、そんな時、いつもお守りとして持ってた腕時計を見てさ、唇をかみ締めて生きるぞ!って決意してたんだって。
その時計はさ、じいちゃんの親友の形見だって。じいちゃんと親友はさ、幼い頃から一緒に悪さしたりして近所でも有名な悪ガキ2人組みだったんだって。

戦争が悪化してきてさ、じいちゃんも友人も戦争に行くことになったんだけど、
じいちゃんの親友は海軍に志願して特攻になったらしい。
最後の別れ際、
「俺は空からお前は陸から・・・心配すんな、俺がぶっ壊してやる。靖国で待ってるなんて言わない。お前は不死身だからな」
って笑いながら腕時計を渡したんだって。
それからシベリアに抑留されても、じいちゃんは腕時計だけは取られないように隠し持って捕虜になるなら切腹しろって言われてたけど、こんな所で日本男児がくたばるかって思いながら生きたらしい。

俺さバカだからよく分かんなかったけど、軽く泣いたね。じいちゃんも泣いてた。
それ聞いて、毎日勉強したわ。毎日じいちゃんの病室のベッドの横で毎日勉強した。
んでさ、じいちゃん日に日に体が弱くなってさ、喋ることもままならなくなっていったよ。
受験前日かな、じいちゃんさ、体震わせながら、声もかすれながらさ、手を上にあげて名前呼んだから何?って言ったらさ、
腕時計だしてきて「ありがとう」って・・・
「ようやくお前に顔向けできるな」って言ってた。
多分俺と友人間違えてたんやろうな。
その夜じいちゃん死んだよ91歳やった。

思い返せばスッゲー男やったな。シベリアから帰ってきて、何も無い所から始めて、会社起こして、俺のおかんやらを育ててきたんやもんな。
強いよな・・・じいちゃん死んだ時、俺はじめて「闘う」って意味分かった気がしたもんな。
腕時計は俺が引き継いだ。
俺にとっちゃかなり重い腕時計だけど、じいちゃん、じいちゃんの親友に顔向けできる男になれるように闘ってみる。
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