玉屋ブログ

3密をしない。

2020/05/04

ビットマップ 無題-1

天国の妻から届いた手紙のお話。

2020/03/09

嫁が激しい闘病生活の末、若くして亡くなって五年後、
こんな手紙が届いた。

どうやら死期が迫ったころ、未来の俺に向けて書いたものみたいだ。

—以下全文—

Dear 未来の○○

元気ですか?大好きな仕事はうまくいってますか?
きっと○○だもん、今ごろ凄い出世してるんだろうなあ。
嬉しいぞ。

早速だけど、私はもう長くないみたい。
仕事柄、なんとなく自分の体のことはわかるんだあ。
薬もだいぶ変わったしね。

だから、○○に最後の手紙を書くことにしました。

もう今頃新しいかわいい奥さんが出来てるかな? (笑)

いいんだよ、私に遠慮しないで幸せになってよ。
○○は誰かを幸せにできる才能を持ってる。
その才能を持った責任を負わなきゃいけないんだ。

○○が幸せになるところ、きちんと見守ってるからね。
私は大丈夫。向こうでイケメン見つけて恋するもんね! (笑)

そして○○は沢山子供を作ってステキな家庭を作るの。
○○の子供だもん、きっとかわいいんだろうなあ~

私生まれ変われたら○○の子供になっちゃおうかな (笑)

生まれ変わりの順番待ちがあったら割り込んじゃうもんね!
おばさん発想だな。

でもね、一つだけお願いがあります。

どうか私のことを忘れないで。
どんなに幸せになっても、一年に何回かでいいから思い出して。

私はもうお父さんもお母さんもいないから、、
○○が忘れたらもうこの世界に私はいなくなっちゃう。
それだけが怖いんだ。

何回かというのはね、

付き合い始めた日、幕張のレストランに海。

一緒に行った夏の北海道、
あの時くれたネックレスはずっと今でもつけてるよ。
お棺にいれないでね、○○が持ってて。

○○が初めて試合でレギュラーになった日、関係ないとは思いきや、
実は私が初めてお弁当を作った日だったのだ笑
卵焼き辛くて悪かったな

結婚記念日は○○酔いつぶれてたし、いいや (笑)

そして私の命日。
多分○○のことを思いながら幸せに眠るんだろな。

この四つが私の思い出ランキングトップです!
だから年四回でいいから思い出してね。お願いね。

○○が思い出してくれるとき、
きっと私はその瞬間だけこの世界に生き返れるんだ。

最後までわがままだね (笑) ごめんなさい。

未来に向けて書くつもりが、
なんかよくわかんなくなっちゃった。

だって○○の未来は輝いてて、眩しくて、全然見えませんよ!

さて、レントゲンに呼ばれたのでこれで終わりにします。
時間かけて書くと長くなりそうなので、
思いつきで書いたこの手紙で一発終了。

○○、今までありがとう。
悲しい思いをしてしまったらごめんなさい。

あなたと過ごした私の人生、あなたと作った私の人生。
幸せ過ぎてお腹いっぱいです。もう悔いはないよ。

○○の幸せをずっとずっと見守ってます。

未来の○○の笑顔を思いながら

△△より

ps.ご飯はちゃんと食べるんだよ

———-

最後まで注文ばっかだな全く
オレはまだ一人だよ
でも幸せだ この手紙をみて改めて実感した
オレ頑張るから、ずっと見ていてくれよ

ありがとう
006638.smpl

生きることはのお話。

2020/02/10

私は就職が上手くいかず、バイトを繰り返していた時期があります。
何をやってもダメで、だんだんと自分を精神的に追い込んでいったのでしょう。
精神のバランスが崩れて、死にたいと考えるようになりました。
高速道路で中央分離帯に突っ込んだら楽になるだろうな、などと考えたりするようになっていたのです。
仕事がなかった訳ではありませんし、ある程度充実していたと思います。
しかし、他の人が就職しているのに自分はフリーターで、何をやっているのだろうと思っていたのでしょう。
心のバランスが取れなくなっていったという自覚は持っています。
人と会うことが少なくなり、口数が減っていきました。目に見えて暗くなったと思います。

その時に私は家庭教師を頼まれていました。親戚の家に行っていたのですが、親戚と言っても遠い関係なのでその家のお父さんとは話したこともありませんでした。
ただ、家がお寺だということで住職だということは知っていたくらいです。
子供達にお父さんの印象を聞くとあまり良く思われていないらしく、ぶっきらぼうな回答が返ってきます。
勉強を教えることは楽しかったので、家庭教師はずっと続けていました。その当時は子供達に会うときが人と接する唯一の機会でした。
心の闇を抱えながら私は先生としてのクオリティを落とさないように気を付けて、勉強を教えていたと思います。

その後、それまで保っていた心のバランスが崩れてしまいました。
きっかけは友人が亡くなったことです。交通事故で亡くなったのですが、私の闇を知っていた友人がいなくなったことでバランスが保てなくなりました。
そんなときに、話したこともない住職と話す機会ができたのです。
子供の教育方針を話す機会だったと思います。
しかし、私はそんなことを話すほど余裕がありませんでした。
少し話を聞いてもらってもいいですかと言って、友人が亡くなったことや私が心のバランスを崩していることなどを話しました。

住職は何も言わずにただ聞いていて、私が話し終わるとゆっくり口を開きました。
生きることは食べることだというのです。
食べなければ生きられない食べているなら君はまだ生きられると言われました。
そのときに涙がこぼれてきました。
すごく悩んでいたことも苦しんだことも、関係ないんだと思えたのです。
私は生きているし、まだ生きられると思えました。
友人が叶えられなかった生きるということを、私はできると住職に言われてボロボロと涙を流しました。
食べるだけで生きられる、生きるというのは簡単なことなんだとそのときに気づいたのです。
gohan32 (1)

俺が守ってやるのお話。

2020/01/20

中学の頃、学校でいじめにあっていた。

教室に入れなくていつも保険室に通っていた。
いじめの事は家族にも言っていない。

ただ私のワガママで保険室に通っているだけ、
と教師、両親は思っていた。

いじめは段々とエスカレートし、また陰湿だった・・・。
でも回りに心配かけたく無くて、
いつも無理して笑っていた。

辛くて孤独でどうしようも無くて、
死んでしまおうと決心した日、
高校生の兄が修学旅行から帰って来て私にお土産をくれた。

どこかのドライブインに売っているような、
キーホルダーのオルゴール。

長崎に行って来たハズなのに・・・。

幼い頃から、兄と常に一緒にいたが、
兄にはいつもイジメられた記憶しか無い。

だから、長崎のお土産を私にだけはくれなかった。
そう思った瞬間、学校でのイジメと重なり、
私はそのお土産を

『こんなのいらない!!』

と投げつけてしまった・・・。

すると、その衝撃でオルゴールがなった、
題名は知らないけど

『涙など見せない強気なアナタを
 こんなに悲しませてるのは誰なの?』

って言う歌詞の曲が・・・。

兄は、何も言わずにそのお土産を拾おうとしゃがんだ。

兄は泣いていた。
初めて兄が泣いているのを見て、
呆然としていると、兄がポソリと言った。

『お前をイジメて良いのは兄貴の俺だけだ。
 それ以外のヤツがお前をイジメるのは許せない。

 俺は知ってるから、
 お前が家で我慢して笑ってる事。

 小さい頃からいつも
 俺の前で泣いてたんだから、
 我慢なんかしなくて良いんだぞ。

 俺は、イジメてばかりの兄貴だけど、
 他人に妹をイジメられて
 黙っていられる兄貴じゃないからな。』

その言葉を聞いて、私は号泣、
学校のイジメの事を全て吐き出しました。

泣きすぎて喘息で咳き込みながら、

全部・・・。

兄は横に座って聞いてくれていました。
全部話し終わると、『よく頑張った』
と一言言って頭をポンポンと撫で、

『今日は寝ろ、明日は学校行かなくて良い』
と言って部屋から出て行きました。

暫く一階で母親と兄が
会話している声が聞こえてきました。

翌日から暫く学校を休み、再び登校すると、
イジメはかなりされなくなっていました。

教師に聞くと、兄が中学の教員室に乗り込み
ぶちギレて行った様でした。

高校の生徒会長が乗り込んで来た為、
教師も慌ててイジメに関して動き、
結果私を含め多人数が
イジメの被害にあっていた事も判明しました。

その何年か後、私は旦那と知り合い、
結婚式を挙げた時、兄貴は

『小さい頃から、俺は妹をイジメて泣かして来た。
 でも、お前をイジメるヤツは俺は許さない、
 どうかこれからは、俺の変わりに守ってやってくれ。』

と・・・。

兄ちゃん、今日は兄ちゃんの結婚式だよ。
お返しに今日は
私が兄ちゃんを泣かすから。
おるごー

あるマンガ家志望の若者のお話。

2020/01/09

あるマンガ家志望の若者の話です。

彼が17歳のとき。

短編マンガが準入選に選ばれ、担当編集者がついてくれることになり、

気をよくした彼は九州から東京に上京してきます。

当時は、すぐトップになれるぐらいの気持ちだったそうです。

しかし、甘くはなかった……。

作品のネーム(あらすじ)を提出しても全然通らない。

連載にはいたりませんでした。

描いても描いてもボツになる……。

「さすがに自分の力のなさに気づいて、

 そうすると壁がどんどん高く見えてくるわけです。

 1週間で19ページも面白いマンガを

 描き続けるなんていうのは、人間にできる技じゃない。

 マンガ家になるべくして生まれた人にしか

 できないことなんだと思うようになって、ショックでしたよ」

描いても描いてもボツになる。

描いても描いてもボツになる。

描いても描いてもボツになる……。

彼は、ついには倒れて、

1週間ほど体が動かなくなったそうです。

もう、マンガ家になることを諦めようとした。

サラリーマンに今からなれるかなとも考えた……。

でも、そのとき、

当時の担当編集者がこう言葉をかけてくれたのだとか。

「こんなに頑張って報われなかったヤツを

 俺は今まで見たことがない」

必ず報われる日がくる、と……。

ケンカばかりしていたその編集者が、ふと言ってくれた言葉に

彼は泣いた。

とことん泣いた……。

「また頑張れるぞ」

気力が湧いてきた。

「泣く」という文字は

「涙」のさんずいに「立」ち上がると書きます。

涙のあとに立ち上がり、彼が描きあげた作品が……

そう、あの国民的マンガ、

「ONE PIECE」(ワンピース)なんです。

彼の名前は、尾田栄一郎さんです。

人生というシナリオには法則があります。

トコトンまで頑張って、それでも結果は出ず、

「もうダメだ」と力尽きるその瞬間に、

あなたの人生を一変するシーン(名場面)

と出合うようになっているのです。

まさに「ONE PIECE」の世界観そのものです。

人は、力尽きるところまで頑張ったとき、

尽きることのない無限の力が湧きあがるのです。
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令和二年

2020/01/02

輝かしい年の初めに
ご家族皆様のご多幸とご活躍をお祈りいたします
幸多き新年をお迎えのこととお慶び申し上げます
本年もよろしくお願いいたします。
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株式会社 玉屋 代表取締役 児玉 賢司 社員・スタッフ一同

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