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玉屋ブログ

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祖父の一言のお話。

2018/01/03

田舎の祖母が入院してるので、実家に数日戻ってきた。
祖母はあんまり長くないらしい。
祖父母は九州に住んでて、祖父は完全に頑固一徹の昔ながらの親父って感じ。
男子厨房に入らずを徹底して、晩酌は日本酒(必ず熱燗)ビール・ワインを、その日の料理と気分で飲み分ける。
当然、すべて祖母が準備。
熱燗がちょっとでもぬるいと、口を一度つけたあと、
「ぬるい」
とひと言だけ言い、無言で祖母に温めなおすよう指示。
祖母は、「すみません」と言い、その熱燗を持って台所にいき、温めなおす。
祖父は祖母を怒鳴りつけることはなかったが、とにかく一貫してそんな態度だった。
小さい頃から、こまごまとよく働く祖母を呼びつけて、「茶」だの「新聞とってこい」だの召使のように扱う祖父をみて、なんだか理不尽なものを感じていた。
その反動か、俺は小さい頃から母親の手伝いをよくやったし、今も家事を積極的に手伝うようにしている。
その祖母が先月いきなり倒れたらしい。
検査の結果、癌発見。
しかももう手遅れで、手術して無駄に体力を奪うより、このまま・・・という方針に決まった。
仕事が忙しかったので、連休明けて仕事一段落して長めの休暇もらっていってきたんだが、実家に帰ってびっくりしたのが、祖父が連日祖母の病院に朝から行っているらしい。
ほとんど一日病室で、二人で過ごしているそうだ。
病院に行ったら、祖父はいなかったが、しばらくしたら祖父が返ってきて、その手には売店で買ってきたプリン。
祖母の食欲が落ちてきたので、食べやすいものを、と思って買ってきたらしい。
見ていると祖父がよく動く。
カバンから祖母の着替えを出したり、ちょっとした買い物やなんやと。
俺がそろそろ帰ろうかとしていると、祖父がいきなり、
「そうだ。せっかくだから写真を撮ろう」
と言いだした。
祖母が
「こんな痩せて、ガリガリの写真なんて撮らないでください。
お葬式には、若いきれいな頃の写真を使ってくださいね」
と冗談めかしていうと、祖父が少し語気を強めて言った。
「病人だし、飯も食わんのだから、ガリガリは当然だ。
今のお前がきれいじゃないという奴がいたら、
俺がぶん殴ってやるよ」と。
祖母は
「まぁまぁ・・・」
なんて笑ってたけど、ちょっと泣いてたんだよな。
なんだかんだ言いながら、この二人は夫婦なんだなぁと思ったよ。
田舎の祖母が入院してるので、実家に数日戻ってきた。
祖母はあんまり長くないらしい。
祖父母は九州に住んでて、祖父は完全に頑固一徹の昔ながらの親父って感じ。
男子厨房に入らずを徹底して、晩酌は日本酒(必ず熱燗)ビール・ワインを、その日の料理と気分で飲み分ける。
当然、すべて祖母が準備。
熱燗がちょっとでもぬるいと、口を一度つけたあと、
「ぬるい」
とひと言だけ言い、無言で祖母に温めなおすよう指示。
祖母は、「すみません」と言い、その熱燗を持って台所にいき、温めなおす。
祖父は祖母を怒鳴りつけることはなかったが、とにかく一貫してそんな態度だった。
小さい頃から、こまごまとよく働く祖母を呼びつけて、「茶」だの「新聞とってこい」だの召使のように扱う祖父をみて、なんだか理不尽なものを感じていた。
その反動か、俺は小さい頃から母親の手伝いをよくやったし、今も家事を積極的に手伝うようにしている。
その祖母が先月いきなり倒れたらしい。
検査の結果、癌発見。
しかももう手遅れで、手術して無駄に体力を奪うより、このまま・・・という方針に決まった。
仕事が忙しかったので、連休明けて仕事一段落して長めの休暇もらっていってきたんだが、実家に帰ってびっくりしたのが、祖父が連日祖母の病院に朝から行っているらしい。
ほとんど一日病室で、二人で過ごしているそうだ。
病院に行ったら、祖父はいなかったが、しばらくしたら祖父が返ってきて、その手には売店で買ってきたプリン。
祖母の食欲が落ちてきたので、食べやすいものを、と思って買ってきたらしい。
見ていると祖父がよく動く。
カバンから祖母の着替えを出したり、ちょっとした買い物やなんやと。
俺がそろそろ帰ろうかとしていると、祖父がいきなり、
「そうだ。せっかくだから写真を撮ろう」
と言いだした。
祖母が
「こんな痩せて、ガリガリの写真なんて撮らないでください。
お葬式には、若いきれいな頃の写真を使ってくださいね」
と冗談めかしていうと、祖父が少し語気を強めて言った。
「病人だし、飯も食わんのだから、ガリガリは当然だ。
今のお前がきれいじゃないという奴がいたら、
俺がぶん殴ってやるよ」と。
祖母は
「まぁまぁ・・・」
なんて笑ってたけど、ちょっと泣いてたんだよな。
なんだかんだ言いながら、この二人は夫婦なんだなぁと思ったよ。
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一度だけの反抗期のお話。

2017/12/24

昨日4時22分に母が亡くなった。
風邪一つ引かない元気な母だった。
僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。
朝は4時に起きて俺らの弁当作って6時から17時まで弁当屋でパート。
帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って11時までパチンコ屋で掃除のバイト。
休むのは月に3回あればいいほう。
そうやって僕と妹は育てられた。
反抗期なんてほぼ無かった。
あんなに頑張る母親を見て反抗なんてできるはず無かった。
いや・・・一度だけあった。
クリスマスの2,3日前ゲームボーイが欲しいとねだった。
友達がみんなゲームを持っていたのに自分だけ持ってないと苛められると。
何故あんな嘘をついたのだろう・・・。
母は「ごめんね・・・」と顔をくしゃくしゃにして泣いた。
僕も何故か悲しくなって家族3人でボロボロ泣いた。
その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。
クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。
母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、最後に「はい」とプレゼントを渡した。
古いゲームソフトだけを買ってきた。
「これだけじゃできないんだよ」と言おうとしたけどうれしそうな母の顔を見ていえなかった。
あれから20年、兄妹そろって大学まで出してくれた。
俺も妹ももう就職したしこれからは楽させてあげるから仕事やめなよ。っていったのに。
働いてなきゃボケるって・・・そんな年じゃないだろう。
どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。
なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。
何度も病院いこうって言ったじゃないか。
先生もいってた「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。
看護婦さんに「迷惑かけてごめんね」ばっかり言ってたんだってな。
いっつも人のことばっかり気にして・・・。
震える手で書いた枕もとの手紙・・・読んだよ
「耕ちゃんへ
小さいころはいつもお手伝いありがとう
あなたはわがままをひとつも言わないやさしい子でした
妹の面倒も沢山見てくれてありがとう
あなたが生まれてきてくれてほんとうにうれしかったよ
あなたのお嫁さんを見たかった
梓へ
女の子なのにおしゃれをさせてあげられなくてごめんね
いつも帰ったら「ぎゅっとして」といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません
あなたはあなたを愛する人を見つけなさい
そしてその人のために生きなさい
死は誰にでも訪れるものです。
悲しまないであなたがもし辛いことがあったらいつでもあなたの枕元に立ちますよ
なんてね
あなた達の母親で良かった
また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。
それが私の唯一つの願いです
体に気をつけて。
寒いからあたたかかくして。
それから・・・それから・・・
きりが無いからやめとくね
たくさんたくさんありがとう」
お母さん・・・手紙涙でにじんでボロボロだったよ。
だから紙を買ってきてくれっていってたんだね。
お母さん・・・ありがとう・・・
ありがとう・・・ありがとう・・・
まだ遊んでるよ。
プレゼントしてくれたスーパーマリオランド。
昨日4時22分に母が亡くなった。
風邪一つ引かない元気な母だった。
僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。
朝は4時に起きて俺らの弁当作って6時から17時まで弁当屋でパート。
帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って11時までパチンコ屋で掃除のバイト。
休むのは月に3回あればいいほう。
そうやって僕と妹は育てられた。
反抗期なんてほぼ無かった。
あんなに頑張る母親を見て反抗なんてできるはず無かった。
いや・・・一度だけあった。
クリスマスの2,3日前ゲームボーイが欲しいとねだった。
友達がみんなゲームを持っていたのに自分だけ持ってないと苛められると。
何故あんな嘘をついたのだろう・・・。
母は「ごめんね・・・」と顔をくしゃくしゃにして泣いた。
僕も何故か悲しくなって家族3人でボロボロ泣いた。
その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。
クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。
母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、最後に「はい」とプレゼントを渡した。
古いゲームソフトだけを買ってきた。
「これだけじゃできないんだよ」と言おうとしたけどうれしそうな母の顔を見ていえなかった。
あれから20年、兄妹そろって大学まで出してくれた。
俺も妹ももう就職したしこれからは楽させてあげるから仕事やめなよ。っていったのに。
働いてなきゃボケるって・・・そんな年じゃないだろう。
どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。
なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。
何度も病院いこうって言ったじゃないか。
先生もいってた「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。
看護婦さんに「迷惑かけてごめんね」ばっかり言ってたんだってな。
いっつも人のことばっかり気にして・・・。
震える手で書いた枕もとの手紙・・・読んだよ
「耕ちゃんへ
小さいころはいつもお手伝いありがとう
あなたはわがままをひとつも言わないやさしい子でした
妹の面倒も沢山見てくれてありがとう
あなたが生まれてきてくれてほんとうにうれしかったよ
あなたのお嫁さんを見たかった
梓へ
女の子なのにおしゃれをさせてあげられなくてごめんね
いつも帰ったら「ぎゅっとして」といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません
あなたはあなたを愛する人を見つけなさい
そしてその人のために生きなさい
死は誰にでも訪れるものです。
悲しまないであなたがもし辛いことがあったらいつでもあなたの枕元に立ちますよ
なんてね
あなた達の母親で良かった
また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。
それが私の唯一つの願いです
体に気をつけて。
寒いからあたたかかくして。
それから・・・それから・・・
きりが無いからやめとくね
たくさんたくさんありがとう」
お母さん・・・手紙涙でにじんでボロボロだったよ。
だから紙を買ってきてくれっていってたんだね。
お母さん・・・ありがとう・・・
ありがとう・・・ありがとう・・・
まだ遊んでるよ。
プレゼントしてくれたスーパーマリオランド。
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おじぃちゃんと2人のお話。

2017/11/26

おじいちゃんは老いから手足が不自由でトイレも1人では厳しい。
だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしてた。
おばあちゃん以外が下の世話をするの嫌がったからだ。
ある日、家に私とおじいちゃん2人になった。
おばあちゃんが倒れてしまい母と兄は病院、父は会社から直行したからだ。
おじいちゃんと留守番してると申し訳なさそうに
「喪喪ちゃん、悪いんだがトイレに…」って言った。
私は本当に馬鹿だなって思った。
一人じゃ行けないの知ってたくせに気が付いてあげられないなんて
孫、それも女には言いづらかっただろうなって。
トイレに行くとパンパースが小と大で汚れてた。
たくさん我慢させてしまった。
私はおじいちゃんの気を反らそうと学校であった笑い話を精一杯明るく話した。
お風呂場で体を洗ってパンパースつけてホッとした。
同時におばあちゃんは毎日これをしてるんだと思うと何とも言えない気持ちになった。
そして「悪かったね、ありがとう」って五千円をくれようとした。
おじいちゃんは本当に馬鹿だなって思った。
私が赤ちゃんの時、両親は共働きでした。
おしめを変えて育ててくれたのは貴方じゃないですか。
幼稚園だって塾の送り迎えだってしてくれたのは貴方じゃないですか。
あれは無償の愛でしょ?
私はおじいちゃんが大好きだよ?
だからお金なんかいらないんだよって言った。
2人してちょっと泣いた。
おじいちゃんは老いから手足が不自由でトイレも1人では厳しい。
だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしてた。
おばあちゃん以外が下の世話をするの嫌がったからだ。
ある日、家に私とおじいちゃん2人になった。
おばあちゃんが倒れてしまい母と兄は病院、父は会社から直行したからだ。
おじいちゃんと留守番してると申し訳なさそうに
「ももちゃん、悪いんだがトイレに…」って言った。
私は本当に馬鹿だなって思った。
一人じゃ行けないの知ってたくせに気が付いてあげられないなんて
孫、それも女には言いづらかっただろうなって。
トイレに行くとパンパースが小と大で汚れてた。
たくさん我慢させてしまった。
私はおじいちゃんの気を反らそうと学校であった笑い話を精一杯明るく話した。
お風呂場で体を洗ってパンパースつけてホッとした。
同時におばあちゃんは毎日これをしてるんだと思うと何とも言えない気持ちになった。
そして「悪かったね、ありがとう」って五千円をくれようとした。
おじいちゃんは本当に馬鹿だなって思った。
私が赤ちゃんの時、両親は共働きでした。
おしめを変えて育ててくれたのは貴方じゃないですか。
幼稚園だって塾の送り迎えだってしてくれたのは貴方じゃないですか。
あれは無償の愛でしょ?
私はおじいちゃんが大好きだよ?
だからお金なんかいらないんだよって言った。
2人してちょっと泣いた。
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天使になった息子へのお話。

2017/10/13

今年2月…あなたがママのお腹の中に来てくれたのがわかりました。
ママとパパはやっと2人目が出来てすごく嬉しかったなぁ。
ママとパパとお姉ちゃんでお出かけした先で、いつも寂しそうに兄弟がいる他の子たちを眺めていた。
あなたのお姉ちゃんにもやっと兄弟ができると思うと、その日から世界が変わったように毎日がキラキラして見えました。
順調にお腹も大きくなり、検診であなたがおしゃぶりしている様子がエコーで見えました。
しっかりとした心音も聞きました。
病院の先生も元気に成長してるね、と言ってくれました。
性別も男の子だとわかりました。
そして、やっと妊娠6ヶ月目に入りました。
ママはそんな悪夢が迫っているなんて思いもしませんでした。
急に破水してしまい、夜勤から帰ってきて寝ているパパを叩き起し、病院へ向かいました。
覚悟はしていたけど、破水してしまったら陣痛が始まり、お産が進む。
薬でも止めることも出来ない。
まだ小さいあなたはこの世界に誕生しても生きていく事ができないと説明を受けました。
そしてママはそのまま入院し、次の日の朝あなたが生まれました。
破水して、陣痛が来て、生まれる寸前まであなたがお腹の中で動いてるのがわかりました。
でもお腹から出てしまったら、自分で息をする事も、自分で泣くことも出来ない。
出来ることならママはあなたをまだお腹にいさせてあげたかった。
ママの思いがどう、もがいても繋がることが出来なかったの。…ごめんね。
そしてあなたは生まれてすぐに、息を引き取り、天使になり、お空へ帰ってしまいました。
ママはあなたが生まれた日に退院しました。
そして、2日後。小さな小さなお骨が小さな小さな骨壷に仕舞われてお家に帰ってきました。
なんで破水なんかしたんだろう…
風邪気味だったのがいけなかったのかな…
何か悪いものでも食べたかな…
いつものお腹の張りを軽く考えすぎてた…
戻れるならあの日に戻りたい。
毎日そんな事ばかり考えてしまう。
あなたがいなくなったお腹の軽さにまだ体が慣れない。
妊娠中だからと控えてたコーヒーやお刺身も、今では食べれる。
今まであんなに食べたかったのに、食べられることが切ない。
そんなの一生食べられなくてもいいから、あなたがお腹にいた頃に戻りたい。
抱っこしてあげたかったな…おっぱいも飲ませてあげたかったなぁ…オムツだって交換してあげたかったな…
お姉ちゃんと、あなた。
いくらうるさくされてもいい。
それが幸せなんだから。
だから出来ることなら帰ってきてほしいよ…
でもね、そんな事ばっかり言ってたら、あなたが安心して眠れないでしょ!ってあなたのひぃおばぁちゃんに、ママは言われました。
その時やっと我にかえりました。
そうだよね。あなただってこんなママをおいて、安心して逝けないよね…
ママは今寂しさにつぶされそうだけど、負けないであなたにまた逢える日まで頑張ることにしました。
あなたが待っているかと思うと、死ぬ事さえ怖くないと思えました。
だけど、ママはまだそちらには逝けそうにありません。
パパやまだ幼いお姉ちゃんを残して逝くにはあまりにも心配で…心配で…
なのでママがいつかあなたのもとへ行けた時、いっぱい抱っこしてあげるね。
いっぱい甘えていいんだからね。
それにいつもママの中にあなたがいる事を忘れないでね。
毎年、あなたのお誕生日も、クリスマスも、こどもの日も、みんなで一緒にお祝いしようね。
ママとパパのもとへ来てくれてありがとうね。
あなたはママとパパの大事な息子。
お姉ちゃんの大事な弟です。
あなたは精一杯ママのお腹で生きてくれました。ちゃんと生んであげられなくてごめんね…
あなたもお姉ちゃんと同じように愛してます。
また逢える日まで…
あなたのママより
今年2月…あなたがママのお腹の中に来てくれたのがわかりました。
ママとパパはやっと2人目が出来てすごく嬉しかったなぁ。
ママとパパとお姉ちゃんでお出かけした先で、いつも寂しそうに兄弟がいる他の子たちを眺めていた。
あなたのお姉ちゃんにもやっと兄弟ができると思うと、その日から世界が変わったように毎日がキラキラして見えました。
順調にお腹も大きくなり、検診であなたがおしゃぶりしている様子がエコーで見えました。
しっかりとした心音も聞きました。
病院の先生も元気に成長してるね、と言ってくれました。
性別も男の子だとわかりました。
そして、やっと妊娠6ヶ月目に入りました。
ママはそんな悪夢が迫っているなんて思いもしませんでした。
急に破水してしまい、夜勤から帰ってきて寝ているパパを叩き起し、病院へ向かいました。
覚悟はしていたけど、破水してしまったら陣痛が始まり、お産が進む。
薬でも止めることも出来ない。
まだ小さいあなたはこの世界に誕生しても生きていく事ができないと説明を受けました。
そしてママはそのまま入院し、次の日の朝あなたが生まれました。
破水して、陣痛が来て、生まれる寸前まであなたがお腹の中で動いてるのがわかりました。
でもお腹から出てしまったら、自分で息をする事も、自分で泣くことも出来ない。
出来ることならママはあなたをまだお腹にいさせてあげたかった。
ママの思いがどう、もがいても繋がることが出来なかったの。…ごめんね。
そしてあなたは生まれてすぐに、息を引き取り、天使になり、お空へ帰ってしまいました。
ママはあなたが生まれた日に退院しました。
そして、2日後。小さな小さなお骨が小さな小さな骨壷に仕舞われてお家に帰ってきました。
なんで破水なんかしたんだろう…
風邪気味だったのがいけなかったのかな…
何か悪いものでも食べたかな…
いつものお腹の張りを軽く考えすぎてた…
戻れるならあの日に戻りたい。
毎日そんな事ばかり考えてしまう。
あなたがいなくなったお腹の軽さにまだ体が慣れない。
妊娠中だからと控えてたコーヒーやお刺身も、今では食べれる。
今まであんなに食べたかったのに、食べられることが切ない。
そんなの一生食べられなくてもいいから、あなたがお腹にいた頃に戻りたい。
抱っこしてあげたかったな…おっぱいも飲ませてあげたかったなぁ…オムツだって交換してあげたかったな…
お姉ちゃんと、あなた。
いくらうるさくされてもいい。
それが幸せなんだから。
だから出来ることなら帰ってきてほしいよ…
でもね、そんな事ばっかり言ってたら、あなたが安心して眠れないでしょ!ってあなたのひぃおばぁちゃんに、ママは言われました。
その時やっと我にかえりました。
そうだよね。あなただってこんなママをおいて、安心して逝けないよね…
ママは今寂しさにつぶされそうだけど、負けないであなたにまた逢える日まで頑張ることにしました。
あなたが待っているかと思うと、死ぬ事さえ怖くないと思えました。
だけど、ママはまだそちらには逝けそうにありません。
パパやまだ幼いお姉ちゃんを残して逝くにはあまりにも心配で…心配で…
なのでママがいつかあなたのもとへ行けた時、いっぱい抱っこしてあげるね。
いっぱい甘えていいんだからね。
それにいつもママの中にあなたがいる事を忘れないでね。
毎年、あなたのお誕生日も、クリスマスも、こどもの日も、みんなで一緒にお祝いしようね。
ママとパパのもとへ来てくれてありがとうね。
あなたはママとパパの大事な息子。
お姉ちゃんの大事な弟です。
あなたは精一杯ママのお腹で生きてくれました。ちゃんと生んであげられなくてごめんね…
あなたもお姉ちゃんと同じように愛してます。
また逢える日まで…
あなたのママより

タスキのお話。

2017/05/11

小さい頃、よく親父に連れられて街中を走ったものだった。
生まれた町は田舎だったので、交通量が少なく、そして自然が多く、晴れた日にはとても気持ちのいい空気が漂っていた。
親父は若い頃に箱根駅伝に出たらしい。
だから走る事が大好きで、息子にもその走る楽しさを教えてあげたかったのだろう。
もともと無口だった親父も、走ってる時だけはずっと俺に声をかけつづけていた。
普段の無口な親父がなんとなく怖かった俺は、その時だけは親父が好きだった。
そしてお袋が作ったタスキを使って、駅伝ごっこをしてりしてた。
今思えば、親父はまだ青春時代に生きていたのだろう。
中学に入った俺は、当然陸上部に入部した。
レースでは結構いい成績で、部活内でもトップレベルだった。
毎回応援に来てくれる親父は、俺がいい記録を出した日には必ず酒を飲んでいた。
そして真っ赤な顔して上機嫌で、俺に毎回同じ事を言うんだ。
「お前と一緒に、箱根走りたかったなぁ」って。
高校にいっても陸上は続けた。
でも思うように記録は良くならず、さらに勉強についていけないのもあってか、俺はいつもイライラするようになった。
勉強の事には口を出さないくせに、陸上のことばかり気にしてくる親父の事を、鬱陶しく感じてしまうようになるのに時間はかからなかった。
親父が期待してるのは知ってたから、余計に顔を見たくない気持ちだったのだろう。
反抗期、というものだったのかもしれない。
そんなある日、その日のレースもいい記録は出なかった。
理由はわかっていた。
数日前に定期テストの追試のために、勉強を夜遅くまでしていたから体調を崩していたからだ。
一体自分は何をやっているのか、その時の俺は本当に悩んでいた。
そして家に帰って、部屋のベッドでひとり天井を眺めていると親父が入ってきた。
レースの事で何か言われるのかと、正直顔も見たくなかった。
親父は俺の横に座って、長い沈黙の後にこう言った。
「なぁ、お前何の為に走ってるんだ? そんな眉間にしわ寄せてさ。 父さんはな、お前が・・・」
親父がそこまで言いかけたところで俺の気持ちが爆発した。
「うるせえ!出て行けよ!!親父には俺の気持ちなんかわかんねえだろ!!
もう嫌なんだよ!親父の顔を気にしながら走るのは!
勉強だってしなきゃいけないんだ!
親父の期待は俺にとって重いんだよ!!」
そう一気に言い切ってしまった俺を、親父は驚いた顔をして眺めていたが、しばらくすると悲しそうな顔をし
ながら俺を思い切り殴った。
それからはむちゃくちゃだった。
お袋が止めに入るまで俺と親父は大喧嘩をした。
それ以来、親父と気まずくなってしまい、話す事もなくなり、そしてすぐに俺は陸上部を退部し、走るのをやめた。
でも別に成績が良くなったわけでも、イライラが消えたわけでもなく、毎日悶々としていた。
俺が部活をやめて2ヶ月くらいたった頃だ。
親父が急に倒れ、病院に運ばれた。
検査結果は末期の癌で、あと数ヶ月の命だろうということだった。
俺はショックを受けたが、まだ親父とのわだかまりがあり、お袋に何度も誘われたが、見舞いにはなかなか行けずにいた。
家と仕事先と病院とを行き来するお袋を見て、苦労をかける親父に腹が立ちすらした。
そうしてる間に体力は徐々に落ちていって、親父はいつ死んでもおかしくないほど弱ってきた。
そんなある朝、学校に行く前にお袋が思い出すように話し始めた。
俺が高校に入ってからも陸上を続けた事を親父はすごく喜んでいたらしい。
だから俺の記録がなかなか伸びなくて苦しんでる時、親父も同じように悩んでいたと。
そしていつか俺が走るの事を嫌いになってしまうんじゃないかって、すごく心配してたらしい。
なのにあの日俺と喧嘩したあと、一切俺が走らなくなったのに、なにも言わなくなったのだと。
「あの人も頑固だからねぇ」とお袋は付け足して朝食の片付けをし始めた。
俺はその話に何か引っかかるものを感じていた。
学校に行ってもずっと気になり、勉強どころではなかった。
そして休み時間、友達が「あの先生のせいで数学が嫌いになった」と言ったとき俺は気付いてしまった。
そうだ、俺はあの日、親父に言ってしまった。
親父のせいで走るのが嫌いになったと、そう言ってしまったのだ。
誰よりも走るのが好きで、そして誰と走るよりも、俺と走る事が好きな親父に。
俺は授業そっちのけで病院に走った。
道路には雪がつもり、何度も転びそうになったけど、もうしばらく走ってなくて心臓が破裂しそうなくらいバクバクいってたけど、それでも俺は走った。
走ってる間、あの日俺を殴る前に見せた悲しそうな親父の顔が何度も頭に浮かんだ。
病室に行くと、変わり果てた親父がいた。
ガリガリに痩せて、身体からはいくつかチューブがでて、大きく胸を動かしながら、苦しそうに息をしていた。
走ってぜぇぜぇいってる俺を見つけた親父は、
「走ってきたのか」
と消えるような声でいった。
うなずく俺に、親父が「そうか」と言いながらベッドから出した手には、ぼろくさい布が握られていて、そ
れを俺の方に突き出し俺の手にぼろくさい布を渡してきた。
それは小さい頃のあのタスキだった。
「なぁ、走るのは…楽しいだろ」
親父は笑いながら言った。
その後すぐに親父の容態は急変して、そしてまもなく死んでしまった。
葬式なんかで慌しく物事に追われ、ようやく落ち着いて部屋に戻った時、机の上に置きっぱなしにしていた
タスキを見つけた。
親父の夢は俺と箱根を走る事だった。
そして俺にタスキを渡す事だった。
もちろん一緒に箱根なんて走れない。
それは親父が生きていても同じだ。
でも親父は確かに、俺にタスキを渡した。
なぜだか涙があふれて止まらなかった。
そうだ俺は確かに、タスキを受け取った。
冬が明けると俺はまた走り始めた。
小さい頃に親父と走ったあの道だ。
記憶にあるのと同じ木漏れ日、同じ草のにおい、同じ坂道。
ただ違うのは隣に親父がいない事。
今、俺は結婚して子どもが出来た。
いつかこの子に、このタスキを渡したいと思っている。
小さい頃、よく親父に連れられて街中を走ったものだった。
生まれた町は田舎だったので、交通量が少なく、そして自然が多く、晴れた日には
とても気持ちのいい空気が漂っていた。
親父は若い頃に箱根駅伝に出たらしい。
だから走る事が大好きで、息子にもその走る楽しさを教えてあげたかったのだろう。
もともと無口だった親父も、走ってる時だけはずっと俺に声をかけつづけていた。
普段の無口な親父がなんとなく怖かった俺は、その時だけは親父が好きだった。
そしてお袋が作ったタスキを使って、駅伝ごっこをしてりしてた。
今思えば、親父はまだ青春時代に生きていたのだろう。
中学に入った俺は、当然陸上部に入部した。
レースでは結構いい成績で、部活内でもトップレベルだった。
毎回応援に来てくれる親父は、俺がいい記録を出した日には必ず酒を飲んでいた。
そして真っ赤な顔して上機嫌で、俺に毎回同じ事を言うんだ。
「お前と一緒に、箱根走りたかったなぁ」って。
高校にいっても陸上は続けた。
でも思うように記録は良くならず、さらに勉強についていけないのもあってか、俺は
いつもイライラするようになった。
勉強の事には口を出さないくせに、陸上のことばかり気にしてくる親父の事を、鬱陶しく
感じてしまうようになるのに時間はかからなかった。
親父が期待してるのは知ってたから、余計に顔を見たくない気持ちだったのだろう。
反抗期、というものだったのかもしれない。
そんなある日、その日のレースもいい記録は出なかった。
理由はわかっていた。
数日前に定期テストの追試のために、勉強を夜遅くまでしていたから体調を崩していたからだ。
一体自分は何をやっているのか、その時の俺は本当に悩んでいた。
そして家に帰って、部屋のベッドでひとり天井を眺めていると親父が入ってきた。
レースの事で何か言われるのかと、正直顔も見たくなかった。
親父は俺の横に座って、長い沈黙の後にこう言った。
「なぁ、お前何の為に走ってるんだ? そんな眉間にしわ寄せてさ。 父さんはな、お前が・・・」
親父がそこまで言いかけたところで俺の気持ちが爆発した。
「うるせえ!出て行けよ!!親父には俺の気持ちなんかわかんねえだろ!!
もう嫌なんだよ!親父の顔を気にしながら走るのは!
勉強だってしなきゃいけないんだ!
親父の期待は俺にとって重いんだよ!!」
そう一気に言い切ってしまった俺を、親父は驚いた顔をして眺めていたが、しばらくすると悲しそうな顔をし
ながら俺を思い切り殴った。
それからはむちゃくちゃだった。
お袋が止めに入るまで俺と親父は大喧嘩をした。
それ以来、親父と気まずくなってしまい、話す事もなくなり、そしてすぐに俺は陸上部を
退部し、走るのをやめた。
でも別に成績が良くなったわけでも、イライラが消えたわけでもなく、毎日悶々としていた。
俺が部活をやめて2ヶ月くらいたった頃だ。
親父が急に倒れ、病院に運ばれた。
検査結果は末期の癌で、あと数ヶ月の命だろうということだった。
俺はショックを受けたが、まだ親父とのわだかまりがあり、お袋に何度も誘われたが、見舞い
にはなかなか行けずにいた。
家と仕事先と病院とを行き来するお袋を見て、苦労をかける親父に腹が立ちすらした。
そうしてる間に体力は徐々に落ちていって、親父はいつ死んでもおかしくないほど弱ってきた。
そんなある朝、学校に行く前にお袋が思い出すように話し始めた。
俺が高校に入ってからも陸上を続けた事を親父はすごく喜んでいたらしい。
だから俺の記録がなかなか伸びなくて苦しんでる時、親父も同じように悩んでいたと。
そしていつか俺が走るの事を嫌いになってしまうんじゃないかって、すごく心配してたらしい。
なのにあの日俺と喧嘩したあと、一切俺が走らなくなったのに、なにも言わなくなったのだと。
「あの人も頑固だからねぇ」とお袋は付け足して朝食の片付けをし始めた。
俺はその話に何か引っかかるものを感じていた。
学校に行ってもずっと気になり、勉強どころではなかった。
そして休み時間、友達が「あの先生のせいで数学が嫌いになった」と言ったとき俺は気付いてしまった。
そうだ、俺はあの日、親父に言ってしまった。
親父のせいで走るのが嫌いになったと、そう言ってしまったのだ。
誰よりも走るのが好きで、そして誰と走るよりも、俺と走る事が好きな親父に。
俺は授業そっちのけで病院に走った。
道路には雪がつもり、何度も転びそうになったけど、もうしばらく走ってなくて心臓が破裂しそうなくらい
バクバクいってたけど、それでも俺は走った。
走ってる間、あの日俺を殴る前に見せた悲しそうな親父の顔が何度も頭に浮かんだ。
病室に行くと、変わり果てた親父がいた。
ガリガリに痩せて、身体からはいくつかチューブがでて、大きく胸を動かしながら、苦しそうに息をしていた。
走ってぜぇぜぇいってる俺を見つけた親父は、
「走ってきたのか」
と消えるような声でいった。
うなずく俺に、親父が「そうか」と言いながらベッドから出した手には、ぼろくさい布が握られていて
それを俺の方に突き出し俺の手にぼろくさい布を渡してきた。
それは小さい頃のあのタスキだった。
「なぁ、走るのは…楽しいだろ」
親父は笑いながら言った。
その後すぐに親父の容態は急変して、そしてまもなく死んでしまった。
葬式なんかで慌しく物事に追われ、ようやく落ち着いて部屋に戻った時、机の上に置きっぱなしにしていた
タスキを見つけた。
親父の夢は俺と箱根を走る事だった。
そして俺にタスキを渡す事だった。
もちろん一緒に箱根なんて走れない。
それは親父が生きていても同じだ。
でも親父は確かに、俺にタスキを渡した。
なぜだか涙があふれて止まらなかった。
そうだ俺は確かに、タスキを受け取った。
冬が明けると俺はまた走り始めた。
小さい頃に親父と走ったあの道だ。
記憶にあるのと同じ木漏れ日、同じ草のにおい、同じ坂道。
ただ違うのは隣に親父がいない事。
今、俺は結婚して子どもが出来た。
いつかこの子に、このタスキを渡したいと思っている。

立派な勲章のお話。

2017/05/10

なたは私を産むまでずっと、父の暴力に苦しんでいましたね。
私が産まれた時、あなたは泣きながら喜んだんですね。
私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね。
借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね。
保育園では遠足のおやつは、雑穀のおはぎでしたね。
小学校の給食費を払えない月もありましたね。
修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね。
中学の制服は親戚のおさがりでしたね。
高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね。
無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね。
ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね。
お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね。
センター試験の前日には初めて、特上寿司を食べさせてくれましたね。
センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね。
前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね。
なたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね。
私もあなたにずっと謝り続けましたね。
そして私は気持ちを切り替えて後私はその後も頑張って勉強して、なんとか後期に合格することが出来ましたね。
あなたはずっと
「おめでとう、おめでとう」
と泣き続けてくれましたね。
でもあなたは入学の準備の時に、急に倒れて病院に運ばれましたね。
医者が、癌が全身に転移していて、これから一週間が峠だと告げましたね。
私がただただ泣き続けている時に、
あなたは、
「この体の傷や癌の一つ一つがあなたを育てあげた立派な勲章なのよ」
と微笑みながら言いましたね。
あなたは最後まで、泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね。
今、私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ。
あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから。
私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど、あなたに生まれ、育てられて本当によかったよ。
ありがとう、お母さん
あなたは私を産むまでずっと、父の暴力に苦しんでいましたね。
私が産まれた時、あなたは泣きながら喜んだんですね。
私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね。
借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね。
保育園では遠足のおやつは、雑穀のおはぎでしたね。
小学校の給食費を払えない月もありましたね。
修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね。
中学の制服は親戚のおさがりでしたね。
高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね。
無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね。
ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね。
お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね。
センター試験の前日には初めて、特上寿司を食べさせてくれましたね。
センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね。
前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね。
あなたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね。
私もあなたにずっと謝り続けましたね。
そして私は気持ちを切り替えて後私はその後も頑張って勉強して、なんとか後期に合格することが出来ましたね。
あなたはずっと
「おめでとう、おめでとう」
と泣き続けてくれましたね。
でもあなたは入学の準備の時に、急に倒れて病院に運ばれましたね。
医者が、癌が全身に転移していて、これから一週間が峠だと告げましたね。
私がただただ泣き続けている時に、
あなたは、
「この体の傷や癌の一つ一つがあなたを育てあげた立派な勲章なのよ」
と微笑みながら言いましたね。
あなたは最後まで、泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね。
今、私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ。
あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから。
私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど、あなたに生まれ、育てられて本当によかったよ。
ありがとう、お母さん。
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