玉屋ブログ

生きることはのお話。

2020/02/10

私は就職が上手くいかず、バイトを繰り返していた時期があります。
何をやってもダメで、だんだんと自分を精神的に追い込んでいったのでしょう。
精神のバランスが崩れて、死にたいと考えるようになりました。
高速道路で中央分離帯に突っ込んだら楽になるだろうな、などと考えたりするようになっていたのです。
仕事がなかった訳ではありませんし、ある程度充実していたと思います。
しかし、他の人が就職しているのに自分はフリーターで、何をやっているのだろうと思っていたのでしょう。
心のバランスが取れなくなっていったという自覚は持っています。
人と会うことが少なくなり、口数が減っていきました。目に見えて暗くなったと思います。

その時に私は家庭教師を頼まれていました。親戚の家に行っていたのですが、親戚と言っても遠い関係なのでその家のお父さんとは話したこともありませんでした。
ただ、家がお寺だということで住職だということは知っていたくらいです。
子供達にお父さんの印象を聞くとあまり良く思われていないらしく、ぶっきらぼうな回答が返ってきます。
勉強を教えることは楽しかったので、家庭教師はずっと続けていました。その当時は子供達に会うときが人と接する唯一の機会でした。
心の闇を抱えながら私は先生としてのクオリティを落とさないように気を付けて、勉強を教えていたと思います。

その後、それまで保っていた心のバランスが崩れてしまいました。
きっかけは友人が亡くなったことです。交通事故で亡くなったのですが、私の闇を知っていた友人がいなくなったことでバランスが保てなくなりました。
そんなときに、話したこともない住職と話す機会ができたのです。
子供の教育方針を話す機会だったと思います。
しかし、私はそんなことを話すほど余裕がありませんでした。
少し話を聞いてもらってもいいですかと言って、友人が亡くなったことや私が心のバランスを崩していることなどを話しました。

住職は何も言わずにただ聞いていて、私が話し終わるとゆっくり口を開きました。
生きることは食べることだというのです。
食べなければ生きられない食べているなら君はまだ生きられると言われました。
そのときに涙がこぼれてきました。
すごく悩んでいたことも苦しんだことも、関係ないんだと思えたのです。
私は生きているし、まだ生きられると思えました。
友人が叶えられなかった生きるということを、私はできると住職に言われてボロボロと涙を流しました。
食べるだけで生きられる、生きるというのは簡単なことなんだとそのときに気づいたのです。
gohan32 (1)

俺が守ってやるのお話。

2020/01/20

中学の頃、学校でいじめにあっていた。

教室に入れなくていつも保険室に通っていた。
いじめの事は家族にも言っていない。

ただ私のワガママで保険室に通っているだけ、
と教師、両親は思っていた。

いじめは段々とエスカレートし、また陰湿だった・・・。
でも回りに心配かけたく無くて、
いつも無理して笑っていた。

辛くて孤独でどうしようも無くて、
死んでしまおうと決心した日、
高校生の兄が修学旅行から帰って来て私にお土産をくれた。

どこかのドライブインに売っているような、
キーホルダーのオルゴール。

長崎に行って来たハズなのに・・・。

幼い頃から、兄と常に一緒にいたが、
兄にはいつもイジメられた記憶しか無い。

だから、長崎のお土産を私にだけはくれなかった。
そう思った瞬間、学校でのイジメと重なり、
私はそのお土産を

『こんなのいらない!!』

と投げつけてしまった・・・。

すると、その衝撃でオルゴールがなった、
題名は知らないけど

『涙など見せない強気なアナタを
 こんなに悲しませてるのは誰なの?』

って言う歌詞の曲が・・・。

兄は、何も言わずにそのお土産を拾おうとしゃがんだ。

兄は泣いていた。
初めて兄が泣いているのを見て、
呆然としていると、兄がポソリと言った。

『お前をイジメて良いのは兄貴の俺だけだ。
 それ以外のヤツがお前をイジメるのは許せない。

 俺は知ってるから、
 お前が家で我慢して笑ってる事。

 小さい頃からいつも
 俺の前で泣いてたんだから、
 我慢なんかしなくて良いんだぞ。

 俺は、イジメてばかりの兄貴だけど、
 他人に妹をイジメられて
 黙っていられる兄貴じゃないからな。』

その言葉を聞いて、私は号泣、
学校のイジメの事を全て吐き出しました。

泣きすぎて喘息で咳き込みながら、

全部・・・。

兄は横に座って聞いてくれていました。
全部話し終わると、『よく頑張った』
と一言言って頭をポンポンと撫で、

『今日は寝ろ、明日は学校行かなくて良い』
と言って部屋から出て行きました。

暫く一階で母親と兄が
会話している声が聞こえてきました。

翌日から暫く学校を休み、再び登校すると、
イジメはかなりされなくなっていました。

教師に聞くと、兄が中学の教員室に乗り込み
ぶちギレて行った様でした。

高校の生徒会長が乗り込んで来た為、
教師も慌ててイジメに関して動き、
結果私を含め多人数が
イジメの被害にあっていた事も判明しました。

その何年か後、私は旦那と知り合い、
結婚式を挙げた時、兄貴は

『小さい頃から、俺は妹をイジメて泣かして来た。
 でも、お前をイジメるヤツは俺は許さない、
 どうかこれからは、俺の変わりに守ってやってくれ。』

と・・・。

兄ちゃん、今日は兄ちゃんの結婚式だよ。
お返しに今日は
私が兄ちゃんを泣かすから。
おるごー

あるマンガ家志望の若者のお話。

2020/01/09

あるマンガ家志望の若者の話です。

彼が17歳のとき。

短編マンガが準入選に選ばれ、担当編集者がついてくれることになり、

気をよくした彼は九州から東京に上京してきます。

当時は、すぐトップになれるぐらいの気持ちだったそうです。

しかし、甘くはなかった……。

作品のネーム(あらすじ)を提出しても全然通らない。

連載にはいたりませんでした。

描いても描いてもボツになる……。

「さすがに自分の力のなさに気づいて、

 そうすると壁がどんどん高く見えてくるわけです。

 1週間で19ページも面白いマンガを

 描き続けるなんていうのは、人間にできる技じゃない。

 マンガ家になるべくして生まれた人にしか

 できないことなんだと思うようになって、ショックでしたよ」

描いても描いてもボツになる。

描いても描いてもボツになる。

描いても描いてもボツになる……。

彼は、ついには倒れて、

1週間ほど体が動かなくなったそうです。

もう、マンガ家になることを諦めようとした。

サラリーマンに今からなれるかなとも考えた……。

でも、そのとき、

当時の担当編集者がこう言葉をかけてくれたのだとか。

「こんなに頑張って報われなかったヤツを

 俺は今まで見たことがない」

必ず報われる日がくる、と……。

ケンカばかりしていたその編集者が、ふと言ってくれた言葉に

彼は泣いた。

とことん泣いた……。

「また頑張れるぞ」

気力が湧いてきた。

「泣く」という文字は

「涙」のさんずいに「立」ち上がると書きます。

涙のあとに立ち上がり、彼が描きあげた作品が……

そう、あの国民的マンガ、

「ONE PIECE」(ワンピース)なんです。

彼の名前は、尾田栄一郎さんです。

人生というシナリオには法則があります。

トコトンまで頑張って、それでも結果は出ず、

「もうダメだ」と力尽きるその瞬間に、

あなたの人生を一変するシーン(名場面)

と出合うようになっているのです。

まさに「ONE PIECE」の世界観そのものです。

人は、力尽きるところまで頑張ったとき、

尽きることのない無限の力が湧きあがるのです。
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令和二年

2020/01/02

輝かしい年の初めに
ご家族皆様のご多幸とご活躍をお祈りいたします
幸多き新年をお迎えのこととお慶び申し上げます
本年もよろしくお願いいたします。
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株式会社 玉屋 代表取締役 児玉 賢司 社員・スタッフ一同

祖母の味噌焼きおにぎり

2019/12/31

僕には祖母がいる。
祖父は僕が生まれる前に亡くなった。
だから、祖母は大変だったらしい。
祖父は保険に入っておらず、残されたのは煙草畑と田んぼと仔牛くらいだった。
そこから女手一つで僕の父と叔母を育てた。
僕は初孫でとても可愛かったらしく、祖母に怒られた記憶はない。
僕の両親は共働きで、祖母は畑仕事をしながら僕の面倒を見た。
小さい時に煙草の葉を誤って食べ倒れてしまった僕をおぶって、病院に連れて行ってくれた。
足を怪我して入院した時は一緒に泊まってくれた。
お腹を下して、帰宅途中で大きい方を漏らしてしまった時も、
「男なら泣くんでねぇ」
と風呂場で洗いながら、お尻を叩いて叱咤してくれた。
15時のおやつの時間、お腹か減ると味噌焼きおにぎりを握ってくれた。
大きく握ったおにぎりに味噌を満遍なく塗って、フライパンで焼くだけだ。
正直に行って特別に美味しい訳ではない。
他にも美味しい料理がいっぱいあるだろう。
でもテーブルにあれば不思議と手が伸びて、口に運んでしまう。
僕は大きな味噌焼きおにぎりを口に頬張って、手に付いた味噌をぺろりと嘗めて、外に遊びに出た。

そして、僕は成長した。
田舎を出て東京に行きたい、と祖母に伝えた。
「んだかぁ……」
そう寂しそうに言った。
本当は行って欲しくはないが、自分が我儘を言って孫の夢を壊してはならない、と感情を腹の中に押し込んだような表情をしていた。

僕は東京に出てから、年に数回、実家に帰っている。
青空と山部の緑。
虫の鳴き声。
ゆったりと流れる時間。
故郷の方言。
土の匂い。
「けぇったかぁ~」
と満面の笑みを浮かべる祖母。
実家には弟夫婦が住んでおり、祖母にとってのひ孫がいる。
「ひっこ~、おにぎり作って」
とひ孫。
祖母は爪に土が入った手でおにぎりを握る。
子供たちには衛生的に良くない。
でも歳を取り爪の間までしっかり洗えない祖母が一生懸命、ゆったりと時間をかけて作る味噌焼きおにぎりを否定する気にはなれない。
「おんちゃ(僕のこと)の分も作ったじゃ。食うべ?」
と大きな味噌焼きおにぎりを手渡す。
畑仕事で腰が曲がった祖母。
しわくちゃの手。
僕が東京に行った後、家族の前でおいおいと、初めて大声で泣いた祖母。
「食うかな」
味とか、衛生面とか関係ない。
それ以上のものが詰まっている。
ばさま、いつもありがとう。
また味噌焼きおにぎりを作ってください。
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汚い手提げ袋のお話

2019/10/03

俺ん家は俺と母親、
それとおはあちゃんの三人で暮らしてる。

親父は離婚していない。
パチンコとかやって借金をつくる駄目な親父だった。

母子家庭ってやっぱ経済的に苦しくて、
母さんは毎日働いてる。
おばあちゃんは汚い服ばっかり着てる。

俺は行きたい大学があるけど、
金がかかるからそこだけ受けて
駄目だったら就職しようと思ってた。

それで、俺大学落ちちゃったんだ。

「すぐに就職先を見つけなきゃいけないな」
って考えてたら、俺の部屋におばあちゃんがやってきた。

「〇〇、大学落ちちゃったんだってね」
と、おばあちゃん。

「うん、でもいいよ。俺、就職するからさ」
ってちょっぴり強がって俺は笑ってみせた。

そしたらおばあちゃん、
いつから使ってるか分かんないような汚い手提げ袋から、
札束を出してきたんだ。

「え…何このお金…」って俺が絶句してたら、

「〇〇、行きたい大学があるんじゃろ?
だったら行きんさい。
お金のことなら心配せんでええ。
まずこれで予備校行きんさい。

年寄りは金持ちやで。
それに、ちょうどばあちゃんな、何かに使おうて思ってたんじゃ」

と、そう言ってシワシワの手で札束を俺に握らせた、
最後、俺の部屋から出るとき
「頑張りんさい」って言って出てった。

それから俺、母さんにおばあちゃんのこと聞いたら、

「おばあちゃんね、あんたが産まれてからずっと
年金コツコツ貯めてたみたいだよ。私も知らんかった」って。

マジ泣いたよ。
なんで金あんのに汚い服ばっか着てる意味とか、
さっき俺の部屋で喋ったこととか思い出して、
本当に泣いた。

もう、本当に頑張るから。

今は肩を揉むことぐらいしかできんけど、
絶対に大学に合格するから。

それと、俺は今日で2ちゃんねる卒業だわ。

長い間、本当にお世話になりました。
勉強がんばります
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