玉屋ブログ

祖母の味噌焼きおにぎり

2019/12/31

僕には祖母がいる。
祖父は僕が生まれる前に亡くなった。
だから、祖母は大変だったらしい。
祖父は保険に入っておらず、残されたのは煙草畑と田んぼと仔牛くらいだった。
そこから女手一つで僕の父と叔母を育てた。
僕は初孫でとても可愛かったらしく、祖母に怒られた記憶はない。
僕の両親は共働きで、祖母は畑仕事をしながら僕の面倒を見た。
小さい時に煙草の葉を誤って食べ倒れてしまった僕をおぶって、病院に連れて行ってくれた。
足を怪我して入院した時は一緒に泊まってくれた。
お腹を下して、帰宅途中で大きい方を漏らしてしまった時も、
「男なら泣くんでねぇ」
と風呂場で洗いながら、お尻を叩いて叱咤してくれた。
15時のおやつの時間、お腹か減ると味噌焼きおにぎりを握ってくれた。
大きく握ったおにぎりに味噌を満遍なく塗って、フライパンで焼くだけだ。
正直に行って特別に美味しい訳ではない。
他にも美味しい料理がいっぱいあるだろう。
でもテーブルにあれば不思議と手が伸びて、口に運んでしまう。
僕は大きな味噌焼きおにぎりを口に頬張って、手に付いた味噌をぺろりと嘗めて、外に遊びに出た。

そして、僕は成長した。
田舎を出て東京に行きたい、と祖母に伝えた。
「んだかぁ……」
そう寂しそうに言った。
本当は行って欲しくはないが、自分が我儘を言って孫の夢を壊してはならない、と感情を腹の中に押し込んだような表情をしていた。

僕は東京に出てから、年に数回、実家に帰っている。
青空と山部の緑。
虫の鳴き声。
ゆったりと流れる時間。
故郷の方言。
土の匂い。
「けぇったかぁ~」
と満面の笑みを浮かべる祖母。
実家には弟夫婦が住んでおり、祖母にとってのひ孫がいる。
「ひっこ~、おにぎり作って」
とひ孫。
祖母は爪に土が入った手でおにぎりを握る。
子供たちには衛生的に良くない。
でも歳を取り爪の間までしっかり洗えない祖母が一生懸命、ゆったりと時間をかけて作る味噌焼きおにぎりを否定する気にはなれない。
「おんちゃ(僕のこと)の分も作ったじゃ。食うべ?」
と大きな味噌焼きおにぎりを手渡す。
畑仕事で腰が曲がった祖母。
しわくちゃの手。
僕が東京に行った後、家族の前でおいおいと、初めて大声で泣いた祖母。
「食うかな」
味とか、衛生面とか関係ない。
それ以上のものが詰まっている。
ばさま、いつもありがとう。
また味噌焼きおにぎりを作ってください。
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汚い手提げ袋のお話

2019/10/03

俺ん家は俺と母親、
それとおはあちゃんの三人で暮らしてる。

親父は離婚していない。
パチンコとかやって借金をつくる駄目な親父だった。

母子家庭ってやっぱ経済的に苦しくて、
母さんは毎日働いてる。
おばあちゃんは汚い服ばっかり着てる。

俺は行きたい大学があるけど、
金がかかるからそこだけ受けて
駄目だったら就職しようと思ってた。

それで、俺大学落ちちゃったんだ。

「すぐに就職先を見つけなきゃいけないな」
って考えてたら、俺の部屋におばあちゃんがやってきた。

「〇〇、大学落ちちゃったんだってね」
と、おばあちゃん。

「うん、でもいいよ。俺、就職するからさ」
ってちょっぴり強がって俺は笑ってみせた。

そしたらおばあちゃん、
いつから使ってるか分かんないような汚い手提げ袋から、
札束を出してきたんだ。

「え…何このお金…」って俺が絶句してたら、

「〇〇、行きたい大学があるんじゃろ?
だったら行きんさい。
お金のことなら心配せんでええ。
まずこれで予備校行きんさい。

年寄りは金持ちやで。
それに、ちょうどばあちゃんな、何かに使おうて思ってたんじゃ」

と、そう言ってシワシワの手で札束を俺に握らせた、
最後、俺の部屋から出るとき
「頑張りんさい」って言って出てった。

それから俺、母さんにおばあちゃんのこと聞いたら、

「おばあちゃんね、あんたが産まれてからずっと
年金コツコツ貯めてたみたいだよ。私も知らんかった」って。

マジ泣いたよ。
なんで金あんのに汚い服ばっか着てる意味とか、
さっき俺の部屋で喋ったこととか思い出して、
本当に泣いた。

もう、本当に頑張るから。

今は肩を揉むことぐらいしかできんけど、
絶対に大学に合格するから。

それと、俺は今日で2ちゃんねる卒業だわ。

長い間、本当にお世話になりました。
勉強がんばります
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ガイドブックのお話。

2019/09/01

東京で単身赴任してたとき、連休とかにはいつも嫁が来て、家のことなどしてくれていた。

母にも、たまには東京来いよと言ってたんだけど、人混みが苦手だと決して来なかった。

そんな母が脳梗塞で突然死んじゃって、呆然としたまま遺品を整理していたら、東京のガイドブックが出てきた。

皇居とか、浅草とかベタなところに一杯赤鉛筆で線引いてあって、何度も読み返したらしくボロボロになってた。

親父に聞いたら、行きたかったんだけど嫁の方ががいいだろうって我慢してたんだそうだ。

自分は肉が嫌いなくせに、俺の好きそうな焼肉屋とかにも一杯線引いてあって、俺と一緒に回るのを夢見てたみたい。

俺は、お義理で誘っただけなんだけど、誘われた後は何回も何回も息子が来いと言ってくれたと喜んでいたらしい。

一緒に行きたかった場所には、俺の名前が書いてあって、それがたくさんたくさん書いてあって…

死に顔を見たときよりも、葬式の時よりもすっごく泣いた。

田舎に戻った今でも、生きてる間に呼ばなかったこと後悔している。
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妻よ、きみと俺の愛する娘は今日4歳になったよのお話。

2019/08/19

7ヶ月前に妻が他界して初めての、
娘の4歳の誕生日。

今日は休みを取って
朝から娘と二人妻の墓参りに出かけてきた。

妻の死後しばらくはあんなに

「ままにあいたい」
「ままかえってこないの」

と毎日泣いていた娘が、
先週あたりからぱったりと泣かなくなった。

さっき墓前で

「4歳になったからね、
もうおねえさんだから泣かないよ、
ばあばと約束したんだ」

と私に打ち明けてくれた。

そして、
小高い丘の上にある墓地から空に向かって

「ままーっ!いつでも帰ってきてねぇ!!」
と叫んだ。

けなげな姿が涙でゆがんだ。

いま、
隣で昼寝している娘の寝顔を見ながらパソコンにむかっている。

もともとここをのぞいていたのは
妻のほうで、
入院中によくみていたようだ。

「私も何か書き込もうかな」

そう笑っていた数日後に亡くなった。

それから、
半年以上が過ぎ、
今日ふとここを思い出したのだ。

妻よ、
きみと俺の愛する娘は今日4歳になったよ。
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先生が残した最後の宿題のお話。

2019/08/08

とある学校の、病気で亡くなった先生が
担任を持ってた生徒に向けて残した最後の宿題

「幸せになりなさい」

君たちが宿題を出す頃に
おそらく僕は天国にいるでしょう。

急いで報告に来るな。

ゆっくりでええから。

いつか面とむかって
「幸せになったで」ときかせてください。

待ってるで。

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生徒たちの心の中では、
この黒板の文字は一生消えないことでしょう。

広島は被爆から74年となる「原爆の日」を迎えました.

2019/08/06

広島は被爆から74年となる「原爆の日」を迎えました。
 
 爆心地に近い平和公園には、朝早くから犠牲者の遺族などが訪れています。

 広島市に投下された原爆では、1945年の末までにおよそ14万人が死亡し

 今も多くの被爆者が放射線の影響による、病気や健康への不安に苦しんでいます。

 平和公園では平和記念式典が営まれ、数多くの方々がお参りされています。

 
 
 

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