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玉屋ブログ

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こんなにきれいに生まれてきたのにのお話。

2018/04/06

昔24時間営業のスーパーで働いてた。
この時期はただえさえ寒いうえに店内冷房ですごく寒かったな。
それはさておき、その年は柿がすごくおいしかったんですよ。
で、うちもたくさんカキを置いたわけ。入口の近くにね。

働いた経験ある人なら分かると思うが、斜めの棚に陳列してある果物は、よくお客さんに落とされちゃうことがある。
もちろん拾って棚に戻すんだけど、すぐ痛んできてしまって、誰にも選ばれず、結局買われないまま廃棄というのが定番パターン。
(店員がもらうのも限界がある)

そんな中、いつも夜遅くに来ていたカップルの行動が泣けた。
いつも男のほうが先にスーパーに来て、女の子が後から荷物(仕事がえり)を抱えてスーパーに入ってくる。
男のほうが料理がうまいみたいで、女の子が来るまで男はスーパーの中をぐるぐる回って色々考えて、女の子が来るとうれしそうに駆け寄って、その日の献立の予定を話すのがいつものパターン。

いつも果物棚の前くらいで落ちあってたんだけど、その日は柿がおいしそうだねってそのまま柿の棚をながめてた。
女の子は柿がすごく好きみたいで
「すごいね」
「真っ赤できれいだね」
「立派だねえ」
「神さまが作ったみたい」
とひたすら柿を誉めまくり。
うちは果物力を入れていたから離れたレジで聞いていて嬉しかった。

そんなことを話しながら彼女が手に取った柿が痛んでいた奴だったみたいで、おもわず声を上げる女の子。
女「あっ!これかわいそうだよ。」
男「あ、ほんとだね。落ちたのかな?」
女「きっと買ってもらえないよね、これ」
男「そうだろうねえ・・・」
女「・・・」
女「これ、買っていい?他にも痛んでる柿を今日は買って帰りたいな」
男「ええっ!でも安くないし、今あんまりお金ないよ」
女「今日剥いてたべちゃだめ?剥くのめんどい?せっかくこんなにきれいに生まれてきたのに、捨てられたらすごくかわいそうだよ。お金は私が出す!」
男「じゃ、じゃあわかったよ苦笑」

なんかじーんときたよ。ほんとに痛んだ柿5つ買っていった。
今思えば半額にしてあげればよかったな。

自分の家が農家だから何となく、野菜は生きてると思うときがある。
(経営側からすればそんなことは言ってられないんだろうけど)
だから、その女の子が柿を買ってった時は、ぼんやりと日本人で良かったなと思った。

彼氏夜遅く柿むいてくれたのかな?ちょっとうらやましいなとも思った。
でも今でも覚えてる私の好きなエピソードです。
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サンタさんのおくすり のお話。

2018/04/03

6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いておいたから、
早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、
こう書いてあった。

「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください!おねがいします」

夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。

朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。

早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って
「ねえ!サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの!早く飲んでみて!」
っていって、夫に薬を飲ませた。

夫が
「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」
と言うと娘が、
「ああ! 良かった〜。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね〜」
……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。

私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。

その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」
と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。

お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。
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あなたの味方のお話。

2018/03/20

私は今、15歳です。
中学校を卒業し、高校も決まりました。
そんな私が中学時代に体験した話です。

私はクラスで軽いいじめにあっていました。
誰が助けてくれることもなく、ただただ悪口を言われ、無視をされる。
そういう内容でした。
そんな私は今日も1人‥
クラスにいても誰とも話さない。
それが当たり前になってきた頃でした。
私は、日記をつけ始めたんです。
人を傷つけないように日記に書いてストレスを発散しようと考えました。

1日目
「今日は無視された。辛い辛い辛い。どうして私なの?助けて、助けて。幸せになりたい。」

2日目
「今日もやっぱり無視された。辛いよ。私がいなくなればいいのかな?」

3日目
「もう辛いよ。疲れちゃった‥。こんなになるなら死にたい。私なんて要らないでしょ?必要ないでしょ?」

こんなことばっかり書いていた。
それでも辛い時は1人で泣いていました。
そんな時、その日記が母にバレてしまいました。

私の母は子供が出来ないと言われていたそうです。
それでもいいよと父がいい結婚したと聞きました。
そんな時、母が言ったんです。

「子供ができないって言われた時、凄い悲しかった。でも、あなたがお腹にできた時、こんなにも幸せな事無いってぐらい嬉しかったの。なのに、お腹を痛めて産んだのに、どうしてそんなこというの?」

と、言われてしましました。
それを聞いた時泣いてしましました。

「何があってもお母さんはあなたの味方。どんなにしたってあなたを嫌いになることも責めることもないのよ。私の娘はあなただけだもの。」

そう笑顔で言ってくれたんです。
その時、こんなに愛されてるんだ。
私は生きてるだけで、ここにいるだけで幸せなんだって、思えました。

だから、もし何かあっても死にたいなんて言わないでください。
少し両親の気持ちになって考えれば、バカなことしちゃいけないって、思えるはずです。

心配かけてごめんね。
そして、ありがとう。

いつまでたっても忘れることのない出来事です。
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母の文集 のお話。

2018/03/08

私の部屋(生まれる前は応接室だった)にずっと母の本棚がある。

母が集めている推理小説とか過去にもらった本とかがたくさん入ってて、私は特に本棚の中を開けてみたり触ったりもしなかった。

数年前、ちょっと捜し物をしていて母の本棚を探っていたら「○○小学校」と書かれた母の母校の小学校の古い文集があるのが目に止まった。

好奇心だけで「どんなくだらないこと書いてたのかな〜♪」って読んでみたら他の子(母の同級生)は家族で旅行をして楽しかったとか、遠足でみんなで遊んだ思い出とかを書いているのに対して、母の作文だけタイトルが「おとうさんの入院」だった。

読むのをためらうタイトルだったけど読んでみると
「私のお父さんが入院しました」
から始まって小学生の子供が書いたとは思えないほどの深刻な内容がそこに・・・
読み終わる頃には涙が止まりませんでした。

おじいちゃん(母の父)は病気で母が高校生の時に亡くなったんだけど、とても苦労したんだなぁと思った。

私は父と仲が悪くケンカばかりしてて母が
「お父さんになんてこと言うの!お父さんを大切にしなさい」
と言うことの意味がその時やっとわかりました。

気づくのが遅かったかもしれないけど、これからも両親を大切にしていきたいと思う。
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一緒にお弁当を食べてね のお話。

2018/03/06

海の学習という名前で学年全体で泊りがけでの研修のあった5年生。
雨女の私が出かけると必ず雨。
今までの遠足も雨が多かったからそんなにがっかりすることもだんだんなくなってた。
ただ海の学習だから海でボートに乗ったりできるのが楽しみだったのに。

本当なら外のお日様の下で食べられるはずだったお弁当。かわいそうに。
せっかくお母さんが作ってくれてみんなで外で気持ちよく楽しくワイワイ食べたかったのになー。
雨だから研修所の宿泊大部屋でみんな自分のお弁当をとりだした。

あれ?包みの中にお母さん、何か入れてる??

「○○ちゃん、楽しみにしていた海の学習の日がきたね。
たくさんのお友達と一緒にお弁当を食べてね」

メモがでてきた。

3人年子の兄弟の真ん中の私。
いつも子育てに仕事に忙しかったお母さんはそれでも家事の手抜きはなかった。
それでも中子の私はあまり母にはかまってもらえてなかった。
それもあまり気にならなかったし。
お母さん大好きだから。

そこにこのメモ。
読みながら涙がブワーっとでてきた。

どんなおかずがはいってたか記憶にない。
自分の涙でしょっぱかったことは覚えてるのに。
そのメモ、お母さんに見られないように20年たった今でも隠してもってる。

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母の手紙 のお話。

2018/02/28

僕のお母さんは癌で死にました。
今僕は中学1年ですが小さいころから母は何度も入院したりしていて、子供ながらになんでだろうと思っていました。
小学5年生の時ぐらいから母はいつも帽子をかぶるようになっていきました。
今思えばそれは辛く苦しい抗癌剤の副作用なのでした。

母は旅行などでも笑顔を絶やさない人で、いつも笑っていました。
そして小学5年生の春休み前、母は父と一緒に「行ってきます」と行って病院へ行ってしまいました。
それが母と交わした最後の言葉でした。

それから祖母の家で過ごし3月の下旬いきなり午前4時ごろに起こされ車で病院へ行きました。
病院へ着き急ぎ足で病室へ行くとそこには電源のついていない医療機器と気持ちよさそうに寝ている母の姿がありました。
近くに行ったら父が「お母さんは、すごく頑張ったぞ」と泣きそうな顔で言いました。

その時僕は悟りました
母は逝ってしまったと・・・

頭が真っ白になった僕を父は抱きました。
そのまま祖母の家に帰された僕は布団の中でずっとずっと泣いていました。

翌日葬式があり告別式も済み出棺されました。
骨を拾っているときも僕は涙をこらえていました。

その後母の遺品を見ていると
「ハッピーバースデー1歳の君へもう歩けるようになったかなぁ」
という手紙が出てきました。
他にもいろいろな手紙が出てきて、それは母が僕宛に書いたけれど照れがあったためしまっておいた手紙の数々なんだなぁと思い大号泣しました。

母は僕のことを1番に考えてくれていたのです。
そんな母にたいした親孝行もできなかった僕は後悔しました。
でも僕は今精一杯生きています母にできなかった分、父に親孝行するために・・・
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