

2011/02/04
エンゼルメイク(エンゼルケア)は一般に死化粧と呼ばれるものですが、故人を美しく着飾るお化粧ではなく、今生での最期の姿にふさわしい姿になるために、看取りに携わる者が手助けをするケアです。
全国の医療機関を中心に旧態依然とした死後処置を見直す動きが急速に拡がっています。
現在は、ほとんどの方が病院等の医療機関で病死しています。特に最近は医療技術の発達もあり、闘病期間が長くなっているせいか、元気な頃とは容貌が著しく変化していることが少なくありません。
またお風呂に長く入れなかったり、髪を洗えなかったり、着衣が乱れたりしていることで清潔感を失い、その方の人格が否定されかねないようなだらしのない姿で旅立ちを余儀なくされることもあります。
エンゼルケアの目的は、一生懸命人生を生き抜いてこられた方の最期の姿が、人生を台無しにしかねないような哀れな姿で人格や尊厳を損なうことにならないように行うための処置といえます。
エンゼルケアは前述のように亡くなられた方の人格や尊厳を守るための処置といえます。しかしながら、その行為が残されたご家族のための遺族ケアにつながる行為でないと意味はありません。
これは死化粧や死後の処置に携わっている方々の多くが感じている共通認識です。
エンゼルケアは故人を見送るご家族や近親者が「最期にふさわしい姿だ」と思えるかどうかがすべてであり、少なからず救われた気持ちになることが最も重要であると考えます。
ですから、どんなに上手く処置や化粧ができたとしても、あらゆる第三者がきれいと感じても、深い悲しみを持つご家族や近親者が納得し癒されなければ意味はありません。
エンゼルケアに携わる上で最も大切なことは、素晴らしい技術や道具があったとしても、メイクや処置に携わる方の個人的な美的感覚や価値観のみで行わないということです。
エンゼルケアとは、単に死後処置や死化粧を行う行為をさすのではなく、ご家族の「こうしてほしい」という心の叫びのような声に耳を傾ける、あるいはそれを導くために聞き取りをする、あるいはケアのための声かけや所作を含めて遺族の心に寄り沿うための看取りの技術全般であると考えております。
故人の傍で悲しんでいる方が何を望んでいるのかを感じることが、エンゼルメイクを行う第一歩なのです。
広島県内の各医療機関や施設でも見直しが本当に実施されています。我々もアンケートや指導に協力しております。
2011/02/03
2011年2月3日は節分!節分 は「季節を分ける」という意味があり、節分 の翌日が立春。
立春 は「寒さが明けて春に入る日」という意味 があるので、節分 は冬と春の間の日なのです。
2011年の恵方は南南東ですよ。
節分には「恵方を向いて太巻きを丸かぶりする」という行事がありますが
そもそも 恵方 とは、歳徳神(としとくじん・とんどさん)が居る方角のこと。
歳徳神 はその歳ごとに居場所を変えるとされていて、干支と十干から算出されるものだそうです。
恵方を向いて太巻きを無言で食べるという行為は関西で発祥した行事だそうですが・・・
今では節分が近くなると全国のスーパーやコンビニで恵方巻き(太巻き)の予約が始まります。
尾道の穴子たっぷり節分恵方巻寿司太巻き2本入り
太巻きは「福を巻き込み」、「縁を切らないために包丁を入れない」という理由から太巻きをまるかぶりすると言われています。
また、節分には他に豆まき・豆を食べる・イワシの頭と柊(ひいらぎ)を家の入り口に挿すという行事があります
豆まき→季節の変わり目は邪気が入りやすいと考えられている為、霊的な力が宿ると言われる大豆をまいてその邪気を払うというもの。
この時に使う大豆は煎っているものでないといけないそうです。
豆を食べる→1年の厄除けを願い、
自分の年齢よりもひとつ多く豆を食べます。地方によっては落花生をまいたり、食べたりする所もあるようです。
イワシの頭と柊(ひいらぎ)を家の入り口に挿す→焼いたイワシの頭を柊の枝の先にさして家の入り口に。
イワシの頭の悪臭と、柊のトゲで鬼を追い払う!という風習。
現在では行わない家も多いようです。参考まで・・・
2010/03/12
昨今、本屋さんで”エンディングノート”が並んでいるのをよく目にします。また、エンディングノートによるセミナーも色々なところで催されています。
このノートに、自分の葬儀はどのようにしたいか、終末医療は延命にするのか、そうでなくするのか、自分の余生をどのように過ごすのかなどを書き込むようになっております。これを書き込むことによって、あらためて自分自身を発見したり、今後の生き方について何かを見出すことができたりと好評のようです。実際に書き込んでいくと、ペンが止まることもありますが、自由に書き込んでいけばよいと思います。何らかの生き方の指南書となるかもしれません。
私ども葬儀業者として、多くの方のお見送りのお手伝いをさせていただいておりますが、その中で、残されたご遺族の方が悩んでおられるのが、故人の趣味で作っていた陶芸、絵画、写真などについて作品が残っていて、残されたご遺族が全く興味が無く、身内が折角作ったもの処分するにも難しく、また、残しておいてもこれまたおくところに困るなどで、悩んでおられる方がありま。これは、紛れも無い事実なのです。人間誰でも趣味もあるし、価値観もそれぞれ異なります。故人と残されたものの趣味、価値観が全く同じということはほとんどありません。自分自身のこの世でものはどのようにしておくかをあとの方に伝えておくか、
文書で残しておくかしておくと、残された方もどのようにしたらよいかわかりやすいでしょう。
そのためにも”エンディングノート”の活用が役に立つと思います。人間には年齢的に限界が必ずあります。
その時になって、あわてないことが大切です。
”立つ鳥跡を濁さず”と言いますが、自分の人生は自分で整理して旅立ちたいと思います。
2009/10/22
家紋は今日まで息づいている日本固有の文化であると言っていいでしょう。「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と呼ばれる源氏、平氏、藤原氏、橘氏といった強力な氏族が最も名を馳せていた時代、地方に移り住んだ氏族の一部が他の同じ氏族の人間と区別をはかるため土地の名前などを自分の家名(屋号)として、それが後の名字となったそうです。家紋は家の独自性を示す固有の目印的な紋章として生まれ、名字を表す紋章としての要素が強いそうです。その後、武家や公家が家紋を使用するようになり、血統や元々の帰属勢力としていくつかのグループに大きく分けることができ、それぞれが代表的な家紋とそのバリエーションで構成されています。その他、各地の豪族がそれぞれ新たに創作した家紋が現代まで伝わっているものもあるそうです。
特別な紋章や場合を除いて、家紋を幾つも所有することは自由であったこともあり、墓地や家具、船舶にまで付けられるほどまでに広まりました。家紋は人々の暮らしに息づいていたそうです。刀や甲冑といった武具にも、好んで使用されていたのですが、しかし家紋の使用に制限はなかったと言うが、他家の家紋を無闇勝手に使用してはそれなりの軋轢や摩擦が生じる。特に大名や将軍などの、地位の高い家のものとなれば尚のことであった。そのため、他家の定紋は出来るだけ配慮して使わないこととする暗黙の了解があったとされています。
2009/09/28
橋渡し、骨揚げはなぜ二人でしなければならないの?
ご遺体を火葬したあとの拾骨を骨揚げや収骨とも言います。ご遺族による拾骨は日本独特の儀礼といわれています。が箸で持ったご遺骨を順に次の人に渡していく形だったようですが
拾骨は二人で一組になってご遺骨を拾います。昔は一人。二人でするようになったのは故人の霊が一人の人にとりつくのを恐れるということと、故人の死を共に悲しむためだといわれています。
血のつながりの深い人から順に箸でご遺骨を骨壷に移すとされています。ご遺骨を骨壷に移す時に二人で一つの骨をはさむ、これを”橋渡し”といいます。”橋渡し”は箸と橋の音が共通のところから故人をこの世からあの世へと三途の川を渡してあげるという思いからきていると言われています。皆で送ってあげようという気持ちの現れでしょう。