小さなみかんの話。

小学校1~2年生まで自分は感情の起伏の無い子供だったらしく、両親がとても心配してよく児童相談所や精神科みたいな所に連れていかれていた。

その時も面倒くさいとも楽しいとも思った事は一切無く、自閉症気味と診断されていたそう。
今親に聞くと、赤ん坊の時からめったな事では泣いたり笑ったりする事も無かったとか。
でもきちんと人の話は聞くし、知能も高かった事から親以外からは大人しい良い子だという風に受け入れられていて、上手く言い表せない自分の両親は心配しながらも、少し不気味に感じることもあったそうだった。
でも自分の爺さんは、そうやって不安がる両親に対して「こいつにはこいつのペースがあるんだ。放っておけ」と言うだけだった。
別段爺さんは自分を甘やかす事も無く、だからと言って無視したり虐待するでも無かったけれど、婆さんと両親は爺さんを冷たいと怒っていた。
ある日、爺さんが風邪をこじらせて肺炎になり入院した。
母親に連れられて見舞いに行ったとき、母親が花を花瓶に入れる為に病室を出て行った。
自分と爺さんが二人だけで病室にいて、何も話す事は無く物音一つしなく
て二人共動く事も無かった。
ふと自分の頬の側の空気が動き、見ると爺さんが青い小さなみかんを自分に差し出していた。
それをそのまま機能的に受け取って、爺さんも自分も何事も無かったように母が来るまでじっとしていた。
そのみかんをどうしたかは記憶が無い。
きっと家族の誰かが食べたんだろうとは思うけれど。

爺さんはそれから少しして死んでしまい、お通夜も葬式の時も何も感じる事は無かった。
初七日が過ぎ、爺さんの仏壇に供えていた青いみかんを何の気なしに母親が自分に与えて、自分も受け取ってその皮を剥いた。
青いみかんのしゅわっという香りとみかんの水分が自分の周りに漂った瞬間、自分の喉の奥が急に詰まったように痛くなり、胃が固まって震えるような感覚に襲われた。
生まれて初めての感覚に驚き、声を上げようとしたけれど喉が潰れたような感じになってうめくような声しか出てこない。
その時初めて「助けて」と思い、うずくまっていると顔が濡れている事に気がついた。
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触ると目からぼたぼたとどんどん涙が出てくる。
自分のうめき声に驚いた母親が慌てて自分に駆け寄ってきたのがわかった。
母親に必死にしがみ付き、自分の世界が壊れていくような恐怖を感じ、身体を硬くして叫び続けていた。
母の暖かい腕が自分に巻きついているのを感じ、温かい手のひらが頭や顔や体を撫でてくれているのを感じ、そしてだんだん落ち着いていくのが判った。
どこか痛いのかと心配する母と父と婆さんの顔を見て、口が自然に開いて、しゃくりあげながら「ありがとう」と言葉を発していた。
顔の筋肉が引きつって、あんなに苦しかった胸の中がだんだん温かく柔らかくなっていくのがわかった。
両親と婆さんが驚いた顔をして、とたんに皆が今度は泣き出した。
「ありがとう」と言って自分は笑ったらしい。

爺さんが、感情を出しやすくしてくれたんだと婆さんと母親が言っている。
父親も自分もその事がどうとか何も言わない。
でも爺さんの仏壇に毎日毎食、皆が食べるものと同じお膳を備える事を一日も欠かす事は無い。

貧乏を公言する男子のお話。

うちの中学は新興住宅地でほとんどが持ち家、お母さんは専業主婦みたいな
恵まれた家庭が多かった。育ちが良いのか虐めや仲間はずれなどは皆無。

クラスに一人だけ貧乏を公言する男子がいた。

人兄弟の長男で子沢山と低収入で給食費も遅れるような状態。

黒であるはずの制服は何故か緑色っぽく色が褪せ、中3になると急に身長が伸びたためか
上腕の3分の1くらいが出ているような状態になってしまっていた。
前のボタンもきつくて閉められなくなり、
ある日、何かの拍子に休み時間に背中の真ん中の縫い目が裂けてしまった。

本人は笑いを誘うギャグを飛ばし、笑いながら家庭科の得意な女子が縫って直してあげた。
そこへ、ある男子が、「誰か兄ちゃんとか近所の人とかで綺麗な制服余っている人いないかー?」と
声をかけた。みんな家に帰って親や隣近所に聞いたりしていらない制服を探した。

翌日2着の上着と1着のズボンが彼の机に置かれた。
その日はクラス対抗バレーボール大会の日で、制服を貰った彼は嬉しそうに制服を高く持ち上げて
「みんなー、ありがとなー、お礼に今日は俺がバンバン点取るからさー」と言った。

夕刊の新聞配達のため帰宅部だった彼は、どこで覚えたのかと思うほどバレーボールが上手く
宣言どおりに、一人で何点も点を決め、クラスは優勝した。
勝った瞬間、男子は彼に駆け寄り、ポカポカ頭を叩いたり抱きついたり、最後には胴上げ。
それを見ていた女子たちは何故かみんな号泣。

いい時代だった。

douage_sports_,am

馬鹿じゃないの のお話。

付き合って3年の彼女に唐突に振られた。

「他に好きな男が出来たんだー、じゃーねー」

就職して2年、

そろそろ結婚とかも真剣に考えてたっつーのに、目の前が真っ暗になった。

俺は本当に彼女が好きだったし、勿論浮気もしたことないし、そりゃ俺は格別イイ男って訳じゃなかったけど、

彼女の事は本当に大事にしてたつもりだった。

なのに、すっげーあっさりスッパリやられた。

どーにもこーにも収まりつかなくて、電話するも着信拒否、

家行ってもいつも留守、バイト先も辞めてた。

徹底的に避けられた。

もーショックですげー荒れた。仕事に打ち込みまくった。

それから半年、お陰で同期の中でダントツの出世頭になってた。

彼女の事も、少しずつ忘れ始めてた、そんなある日。

携帯に知らない番号から電話がかかってきた。

最初は悪戯とかだと思って無視ってたんだけど、何回もかかってくる。

仕方ないから出た。

別れた彼女の妹を名乗る女からだった。

その女が俺に言った。

「お姉ちゃんに会いに来てくれませんか?」

・・・彼女は白血病にかかっていて、入院していた。

ドナーがやっと見つかったものの、状態は非常に悪く、

手術をしても助かる確率は五分五分だという。

入院したのは俺と別れた直後だった。

俺は、病院へ駆けつけた。

無菌室にいる彼女をガラス越しに見た瞬間、俺は周りの目を忘れて怒鳴った。

「お前、何勝手な真似してんだよっ!俺はそんなに頼りないかよっ!!」

彼女は俺の姿を見て、しばらく呆然としていた。

どうして俺がここに居るのかわからない、という顔だった。

その姿は本当に小さくて、今にも消えてしまいそうだった。

でもすぐに、彼女はハッと我に返った顔になり、

険しい顔でそっぽを向いた。

俺は、その場に泣き崩れた。堪らなかった、

この期に及んでまだ意地をはる彼女の心が。

愛しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。

その日から手術までの2週間、俺は毎日病院に通った。

けれど、彼女は変わらず頑なに俺を拒絶し続けた。

そして手術の日。俺は会社を休んで病院に居た。

俺が病院に着いた時にはもう彼女は手術室の中だった。

手術は無事成功。けれど、安心は出来なかった。

抗生物質を飲み、経過を慎重に見なくてはならないと医者が言った。

俺は手術後も毎日病院に通った。

彼女は、ゆっくりではあるけれど、回復していった。

そして彼女は、相変わらず俺の顔も見ようとしなかった。

ようやく退院出来る日が来た。

定期的に検査の為、通院しなくてはならないし、

薬は飲まなくてはならないけれど、

日常生活を送れるまでに彼女は回復した。

俺は当然、彼女に会いに行った。お祝いの花束と贈り物を持って。

「退院、おめでとう」

そう言って、花束を手渡した。彼女は無言で受け取ってくれた。

俺はポケットから小さい箱を取り出して中身を見せた。

俗に言う給料の3ヶ月分ってヤツ。

「これももらって欲しいんだけど。俺、本気だから」

そう言ったら、彼女は凄く驚いた顔をしてから、俯いた。

「馬鹿じゃないの」

彼女の肩が震えていた。

「うん、俺馬鹿だよ。お前がどんな思いしてたかなんて全然知らなかった。 本当にごめん」

「私、これから先だってどうなるかわからないんだよ?」

「知ってる。色々これでも勉強したから。

で、どうかな?俺の嫁さんになってくれる?」

彼女は顔を上げて、涙いっぱいの目で俺を見た。

「ありがとう」

俺は彼女を抱きしめて、一緒に泣いた。

ウチの親には反対されたけど、俺は彼女と結婚した。

それから2年。

あまり体は強くないけれど、

気は人一倍強い嫁さんの尻に敷かれてる俺がいる。

子供もいつか授かればいいな、

という感じで無理せず暢気に構えてる。

-後日談-

嫁さんのお腹に新しい命が宿ってるってわかった。

「子供は授かりものだから、無理しないでのんびり構えとこう」

とか言ってたけど、正直諦め気味だった。

まだ豆粒みたいなもんなんだろうけど、俺と嫁さんの子供が嫁さんのお腹の中にいる。

そう思っただけで、何か訳の分からない熱いものが胸の奥からこみ上げてきて、泣いた。

嫁さんも泣いてた。

実家に電話したら、結婚の時あんだけ反対してたウチの親まで泣き出した。

「良かったなぁ、良かったなぁ。神様はちゃんとおるんやなぁ」

って。

嫁さんの親御さんは

「ありがとう、ありがとう」

って泣いてた。皆で泣きまくり。

嫁さんは身体があんまり丈夫じゃないから、産まれるまで色々大変だろうけど、

俺は死ぬ気で嫁さんと子供を守り抜く。

誰よりも強いお父さんになってやる。

でも、今だけはカッコ悪く泣かせて欲しい。

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祖父の一言のお話。

田舎の祖母が入院してるので、実家に数日戻ってきた。
祖母はあんまり長くないらしい。
祖父母は九州に住んでて、祖父は完全に頑固一徹の昔ながらの親父って感じ。
男子厨房に入らずを徹底して、晩酌は日本酒(必ず熱燗)ビール・ワインを、その日の料理と気分で飲み分ける。
当然、すべて祖母が準備。
熱燗がちょっとでもぬるいと、口を一度つけたあと、
「ぬるい」
とひと言だけ言い、無言で祖母に温めなおすよう指示。
祖母は、「すみません」と言い、その熱燗を持って台所にいき、温めなおす。
祖父は祖母を怒鳴りつけることはなかったが、とにかく一貫してそんな態度だった。
小さい頃から、こまごまとよく働く祖母を呼びつけて、「茶」だの「新聞とってこい」だの召使のように扱う祖父をみて、なんだか理不尽なものを感じていた。
その反動か、俺は小さい頃から母親の手伝いをよくやったし、今も家事を積極的に手伝うようにしている。
その祖母が先月いきなり倒れたらしい。
検査の結果、癌発見。
しかももう手遅れで、手術して無駄に体力を奪うより、このまま・・・という方針に決まった。
仕事が忙しかったので、連休明けて仕事一段落して長めの休暇もらっていってきたんだが、実家に帰ってびっくりしたのが、祖父が連日祖母の病院に朝から行っているらしい。
ほとんど一日病室で、二人で過ごしているそうだ。
病院に行ったら、祖父はいなかったが、しばらくしたら祖父が返ってきて、その手には売店で買ってきたプリン。
祖母の食欲が落ちてきたので、食べやすいものを、と思って買ってきたらしい。
見ていると祖父がよく動く。
カバンから祖母の着替えを出したり、ちょっとした買い物やなんやと。
俺がそろそろ帰ろうかとしていると、祖父がいきなり、
「そうだ。せっかくだから写真を撮ろう」
と言いだした。
祖母が
「こんな痩せて、ガリガリの写真なんて撮らないでください。
お葬式には、若いきれいな頃の写真を使ってくださいね」
と冗談めかしていうと、祖父が少し語気を強めて言った。
「病人だし、飯も食わんのだから、ガリガリは当然だ。
今のお前がきれいじゃないという奴がいたら、
俺がぶん殴ってやるよ」と。
祖母は
「まぁまぁ・・・」
なんて笑ってたけど、ちょっと泣いてたんだよな。
なんだかんだ言いながら、この二人は夫婦なんだなぁと思ったよ。
田舎の祖母が入院してるので、実家に数日戻ってきた。
祖母はあんまり長くないらしい。
祖父母は九州に住んでて、祖父は完全に頑固一徹の昔ながらの親父って感じ。
男子厨房に入らずを徹底して、晩酌は日本酒(必ず熱燗)ビール・ワインを、その日の料理と気分で飲み分ける。
当然、すべて祖母が準備。
熱燗がちょっとでもぬるいと、口を一度つけたあと、
「ぬるい」
とひと言だけ言い、無言で祖母に温めなおすよう指示。
祖母は、「すみません」と言い、その熱燗を持って台所にいき、温めなおす。
祖父は祖母を怒鳴りつけることはなかったが、とにかく一貫してそんな態度だった。
小さい頃から、こまごまとよく働く祖母を呼びつけて、「茶」だの「新聞とってこい」だの召使のように扱う祖父をみて、なんだか理不尽なものを感じていた。
その反動か、俺は小さい頃から母親の手伝いをよくやったし、今も家事を積極的に手伝うようにしている。
その祖母が先月いきなり倒れたらしい。
検査の結果、癌発見。
しかももう手遅れで、手術して無駄に体力を奪うより、このまま・・・という方針に決まった。
仕事が忙しかったので、連休明けて仕事一段落して長めの休暇もらっていってきたんだが、実家に帰ってびっくりしたのが、祖父が連日祖母の病院に朝から行っているらしい。
ほとんど一日病室で、二人で過ごしているそうだ。
病院に行ったら、祖父はいなかったが、しばらくしたら祖父が返ってきて、その手には売店で買ってきたプリン。
祖母の食欲が落ちてきたので、食べやすいものを、と思って買ってきたらしい。
見ていると祖父がよく動く。
カバンから祖母の着替えを出したり、ちょっとした買い物やなんやと。
俺がそろそろ帰ろうかとしていると、祖父がいきなり、
「そうだ。せっかくだから写真を撮ろう」
と言いだした。
祖母が
「こんな痩せて、ガリガリの写真なんて撮らないでください。
お葬式には、若いきれいな頃の写真を使ってくださいね」
と冗談めかしていうと、祖父が少し語気を強めて言った。
「病人だし、飯も食わんのだから、ガリガリは当然だ。
今のお前がきれいじゃないという奴がいたら、
俺がぶん殴ってやるよ」と。
祖母は
「まぁまぁ・・・」
なんて笑ってたけど、ちょっと泣いてたんだよな。
なんだかんだ言いながら、この二人は夫婦なんだなぁと思ったよ。
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プラチナライフセミナー(1/27.2/27.3/27)

葬儀まるごと早わかり講座

意外と知らない葬儀の現状や豆知識などを伝授。

今しておくべき準備、家族葬、散骨についてもわかりやすく紹介します。

2月27日(火)に恥をかかない弔辞のマナー3月27日(火)にお墓のイロハも予定しております。

講 師 広島県葬祭業協同組合専務理事 ・ 弊社 社長 児 玉 賢 司

場 所 クレドビル教室 基町クレド(パセーラ)10階

日 時 平成30年1月23日(火)14:00 ~ 15:30

会 費 会 員 2,000円/4単位  一 般 3,500円/7単位

定 員 2 0 人

詳しくはちゅーピーカレッジまで

第2回葬儀まるごと早

新年明けましておめでとうございます。

新春のお喜びを申し上げます
皆様おすこやかに新春をお迎えのことと存じます。
昨年は何かとお世話になりまして、大変ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
新春のお喜びを申し上げます
皆様おすこやかに新春をお迎えのことと存じます。
昨年は何かとお世話になりまして、大変ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
株式会社 玉屋 代表取締役 児玉 賢司
専   務 小林 伸行 社員・スタッフ一同
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一度だけの反抗期のお話。

昨日4時22分に母が亡くなった。
風邪一つ引かない元気な母だった。
僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。
朝は4時に起きて俺らの弁当作って6時から17時まで弁当屋でパート。
帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って11時までパチンコ屋で掃除のバイト。
休むのは月に3回あればいいほう。
そうやって僕と妹は育てられた。
反抗期なんてほぼ無かった。
あんなに頑張る母親を見て反抗なんてできるはず無かった。
いや・・・一度だけあった。
クリスマスの2,3日前ゲームボーイが欲しいとねだった。
友達がみんなゲームを持っていたのに自分だけ持ってないと苛められると。
何故あんな嘘をついたのだろう・・・。
母は「ごめんね・・・」と顔をくしゃくしゃにして泣いた。
僕も何故か悲しくなって家族3人でボロボロ泣いた。
その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。
クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。
母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、最後に「はい」とプレゼントを渡した。
古いゲームソフトだけを買ってきた。
「これだけじゃできないんだよ」と言おうとしたけどうれしそうな母の顔を見ていえなかった。
あれから20年、兄妹そろって大学まで出してくれた。
俺も妹ももう就職したしこれからは楽させてあげるから仕事やめなよ。っていったのに。
働いてなきゃボケるって・・・そんな年じゃないだろう。
どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。
なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。
何度も病院いこうって言ったじゃないか。
先生もいってた「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。
看護婦さんに「迷惑かけてごめんね」ばっかり言ってたんだってな。
いっつも人のことばっかり気にして・・・。
震える手で書いた枕もとの手紙・・・読んだよ
「耕ちゃんへ
小さいころはいつもお手伝いありがとう
あなたはわがままをひとつも言わないやさしい子でした
妹の面倒も沢山見てくれてありがとう
あなたが生まれてきてくれてほんとうにうれしかったよ
あなたのお嫁さんを見たかった
梓へ
女の子なのにおしゃれをさせてあげられなくてごめんね
いつも帰ったら「ぎゅっとして」といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません
あなたはあなたを愛する人を見つけなさい
そしてその人のために生きなさい
死は誰にでも訪れるものです。
悲しまないであなたがもし辛いことがあったらいつでもあなたの枕元に立ちますよ
なんてね
あなた達の母親で良かった
また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。
それが私の唯一つの願いです
体に気をつけて。
寒いからあたたかかくして。
それから・・・それから・・・
きりが無いからやめとくね
たくさんたくさんありがとう」
お母さん・・・手紙涙でにじんでボロボロだったよ。
だから紙を買ってきてくれっていってたんだね。
お母さん・・・ありがとう・・・
ありがとう・・・ありがとう・・・
まだ遊んでるよ。
プレゼントしてくれたスーパーマリオランド。
昨日4時22分に母が亡くなった。
風邪一つ引かない元気な母だった。
僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。
朝は4時に起きて俺らの弁当作って6時から17時まで弁当屋でパート。
帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って11時までパチンコ屋で掃除のバイト。
休むのは月に3回あればいいほう。
そうやって僕と妹は育てられた。
反抗期なんてほぼ無かった。
あんなに頑張る母親を見て反抗なんてできるはず無かった。
いや・・・一度だけあった。
クリスマスの2,3日前ゲームボーイが欲しいとねだった。
友達がみんなゲームを持っていたのに自分だけ持ってないと苛められると。
何故あんな嘘をついたのだろう・・・。
母は「ごめんね・・・」と顔をくしゃくしゃにして泣いた。
僕も何故か悲しくなって家族3人でボロボロ泣いた。
その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。
クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。
母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、最後に「はい」とプレゼントを渡した。
古いゲームソフトだけを買ってきた。
「これだけじゃできないんだよ」と言おうとしたけどうれしそうな母の顔を見ていえなかった。
あれから20年、兄妹そろって大学まで出してくれた。
俺も妹ももう就職したしこれからは楽させてあげるから仕事やめなよ。っていったのに。
働いてなきゃボケるって・・・そんな年じゃないだろう。
どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。
なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。
何度も病院いこうって言ったじゃないか。
先生もいってた「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。
看護婦さんに「迷惑かけてごめんね」ばっかり言ってたんだってな。
いっつも人のことばっかり気にして・・・。
震える手で書いた枕もとの手紙・・・読んだよ
「耕ちゃんへ
小さいころはいつもお手伝いありがとう
あなたはわがままをひとつも言わないやさしい子でした
妹の面倒も沢山見てくれてありがとう
あなたが生まれてきてくれてほんとうにうれしかったよ
あなたのお嫁さんを見たかった
梓へ
女の子なのにおしゃれをさせてあげられなくてごめんね
いつも帰ったら「ぎゅっとして」といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません
あなたはあなたを愛する人を見つけなさい
そしてその人のために生きなさい
死は誰にでも訪れるものです。
悲しまないであなたがもし辛いことがあったらいつでもあなたの枕元に立ちますよ
なんてね
あなた達の母親で良かった
また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。
それが私の唯一つの願いです
体に気をつけて。
寒いからあたたかかくして。
それから・・・それから・・・
きりが無いからやめとくね
たくさんたくさんありがとう」
お母さん・・・手紙涙でにじんでボロボロだったよ。
だから紙を買ってきてくれっていってたんだね。
お母さん・・・ありがとう・・・
ありがとう・・・ありがとう・・・
まだ遊んでるよ。
プレゼントしてくれたスーパーマリオランド。
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玉屋サンクスホール見学会

12月16日・17日と玉屋サンクスホール見学会を行いました。

両日共に多数のご来場有難いただきます。DSC_1566
各企業や取引先の皆様からお祝やお花を頂きました。感謝です。

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午前中に行われた葬儀まるごと早わかりセミナーはホールからはみ出るほどお集まりいただきました。

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フルートミニコンサートの様子

両日で400名位の方々ご来場いただきありがとうございました。

おじぃちゃんと2人のお話。

おじいちゃんは老いから手足が不自由でトイレも1人では厳しい。
だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしてた。
おばあちゃん以外が下の世話をするの嫌がったからだ。
ある日、家に私とおじいちゃん2人になった。
おばあちゃんが倒れてしまい母と兄は病院、父は会社から直行したからだ。
おじいちゃんと留守番してると申し訳なさそうに
「喪喪ちゃん、悪いんだがトイレに…」って言った。
私は本当に馬鹿だなって思った。
一人じゃ行けないの知ってたくせに気が付いてあげられないなんて
孫、それも女には言いづらかっただろうなって。
トイレに行くとパンパースが小と大で汚れてた。
たくさん我慢させてしまった。
私はおじいちゃんの気を反らそうと学校であった笑い話を精一杯明るく話した。
お風呂場で体を洗ってパンパースつけてホッとした。
同時におばあちゃんは毎日これをしてるんだと思うと何とも言えない気持ちになった。
そして「悪かったね、ありがとう」って五千円をくれようとした。
おじいちゃんは本当に馬鹿だなって思った。
私が赤ちゃんの時、両親は共働きでした。
おしめを変えて育ててくれたのは貴方じゃないですか。
幼稚園だって塾の送り迎えだってしてくれたのは貴方じゃないですか。
あれは無償の愛でしょ?
私はおじいちゃんが大好きだよ?
だからお金なんかいらないんだよって言った。
2人してちょっと泣いた。
おじいちゃんは老いから手足が不自由でトイレも1人では厳しい。
だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしてた。
おばあちゃん以外が下の世話をするの嫌がったからだ。
ある日、家に私とおじいちゃん2人になった。
おばあちゃんが倒れてしまい母と兄は病院、父は会社から直行したからだ。
おじいちゃんと留守番してると申し訳なさそうに
「ももちゃん、悪いんだがトイレに…」って言った。
私は本当に馬鹿だなって思った。
一人じゃ行けないの知ってたくせに気が付いてあげられないなんて
孫、それも女には言いづらかっただろうなって。
トイレに行くとパンパースが小と大で汚れてた。
たくさん我慢させてしまった。
私はおじいちゃんの気を反らそうと学校であった笑い話を精一杯明るく話した。
お風呂場で体を洗ってパンパースつけてホッとした。
同時におばあちゃんは毎日これをしてるんだと思うと何とも言えない気持ちになった。
そして「悪かったね、ありがとう」って五千円をくれようとした。
おじいちゃんは本当に馬鹿だなって思った。
私が赤ちゃんの時、両親は共働きでした。
おしめを変えて育ててくれたのは貴方じゃないですか。
幼稚園だって塾の送り迎えだってしてくれたのは貴方じゃないですか。
あれは無償の愛でしょ?
私はおじいちゃんが大好きだよ?
だからお金なんかいらないんだよって言った。
2人してちょっと泣いた。
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