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「父親との出会い」というのも変な話のお話。

玉屋ブログ

父親との出会い」というのも変な話ですが、私の中ではとても大きな存在なのです。

5年生になったばかりのある日、私は本屋に連れて行ってもらいました。

そこで見つけた問題集。

私は欲しくなりました。

勉強が好きだったわけではありませんが、ちょうど大学入試を控えた姉がいた影響だろうと思います。

「ねえ、これ買ってよ。」

と父に頼みました

。父は、「これはけっこう難しい問題集だぞ。ちゃんとできるか?」

と言いましたが、とにかくそれが欲しかった

私は「すれば楽にできる。」

と言って買ってもらいました。

それから2週間ほどたったある日のことです。

私は遊び疲れて、その問題集もせずに寝ていました。

「明日まとめてすればいいや。」

と考えていたのです。

その晩遅くに、父は帰ってきました。そして、テーブルの上にあった問題集を見て、その日の分が終わっていないのを確認するやいなや、私をたたき起こしました。

「今日の分はどうした!今からやれ!」

と。

私は半分寝ぼけていましたが、言い訳できませんでした。

言い訳の通じる父ではなかったからです。

私は、半泣きの状態で問題を解き始めました。

運悪く、その日のページは「まとめ」のページで、どこそこの入試問題やら難問やらが並んでいました。

しかも、父はどっしりと私の前に座っています。

どうしても解けない問題があり、私は観念して父の顔を恐る恐る見上げました

ところが父は「なかなかできとるなあ。

その難しい問題はな…」と言いながらていねいに教えてくれました。なぜだかわからないけれど、すごくよくわかりました。

厳しさの中に、優しさがありました。

断っておきますが、父は決して教育パパではありませんでした。

ただ、「自分の言葉に責任をもて」と言いたかったんだろうと思います。

「(男が)言い訳なんかするな」という言葉を、それまでにもよく聞きましたから。

父はよくキャッチボールの相手もしてくれました。

やはり5年生の頃、

「おい、あいつの球、すごく速くなったぞ。手が痛くてかなわん。」

というようなことを、私にではなく、母によく言っていたようです。

今にして思えば、どうして直接私に言ってくれなかったのだろうと思いますが、父親ってものは、どうもそんなところがあるようです。

父は、その年(5年生)の10月に、あっけなく他界しました。

今でも時々、問題集と格闘していたあの日のことを思い出します。また、

「父と酒を飲んでみたかったなあ。」

とも思います。

でもそれは、言ってもしかたのないことです。

今は、我が子供たちのためにも、1日でも長生きしたいと思っています。

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