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ばあちゃんの教えと別れのお話。

玉屋ブログ
母子家庭だった私は私を育てる為に昼夜問わず働く母と そんな母のかわりに、私が寂しい思いをしないよう一生懸命愛情を注いでくれたばあちゃんがいて決して裕福ではなかったが幸せに人生を送れてきた。 孫が8人いるのですが、その中でも、私を特別に可愛がってくれて、みんなにお年玉を渡す時、いつも私だけポチ袋に書いてある金額と中身が違っていた。 自分で布団をひくからいいと毎日言ってるのに、ゼイゼイ言いながら布団を敷いてくれていた また、社会人になってから困らないようにと、人との繋がりがどれほど大切か、誰からも愛されるようにどうすればいいか目上の方に対する言葉遣いやマナーを優しく丁寧に教えてくれた。 社会人となった今、あらためてばあちゃんが教えてくれたことを実感している。 そんなばあちゃんは、もともと心臓が悪く5年ほど前から入退院を繰り返すようになっており 自宅で療養しているときは 朝起きたとき 帰宅したとき はそっと寝室を覗き声をかけたり寝息を聞いてホッとする日が続いたが 昨年 出張先で突然の訃報を受け 仕事中にもかかわらず携帯電話を耳にあてへたりこんでしまい、仕事仲間をビックリさせてしまいましたがすぐ冷静になり、上司に事情を説明した上で、大事な出張ゆえに葬式には出席せずに、予定通りスケジュールをこなすことを伝え何事もなかったように仕事を続けた。 その日の夜 夕食を食べる元気もなく、ホテルの部屋で放心状態の私に上司からの電話でロビーに降りると上司と同僚が待っていて 「これ、みんなから」 と封筒を渡され 「これは業務命令」と、もう1通手渡された。 一つ目の封筒は香典で 二つ目の封筒は出張先から帰るための飛行機のチケット 日付は翌日の朝一番の便 「これなら間に合うやろ」 「ちゃんとお別れしてこい」 この時、ホテルのロビーということ他にもお客さんがたくさんいるのも忘れ、今思うと恥ずかしいほど泣き崩れてしまいました。 そんな仕事仲間の好意で無事お葬式に出席出来て大好きなばあちゃんとお別れすることができました。 生前キリスト教徒だったこともあり お葬式もキリスト教形式で、納骨後は仏壇も位牌もなく 残るのは遺影のみですが 家族や親戚に頼み込み 私の部屋に笑顔のばあちゃんがいつもいてくれる。 ありがとうばあちゃん あなたのおかげで 暖かい方々と出会え幸せに過ごせています。
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