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塩ラーメンのお話。

玉屋ブログ

うちの家族は母と私(長男)、弟が二人の母子家庭。
 父と母は、私が5才の時に離婚をし親権は母親へ。
「扶養金なんかいらない」
と言い残し、私たち兄弟を引き取ったらしい。
女・酒・ギャンブル。全てに手を付けていた父の下に、一人でも子供を残して行きたくなかったのだろう。
 母はそれからというもの、幼い私たちからひと時も目を離したくなかったのだろうか、私たちの入園した保育園で働き始めた。
 お世辞にも給料は良いとは言えない。
おそらく12、3万だっただろう。自分には何一つ買わず、全てを子供の為に注ぎ込んだ母。
いつもボロボロの服を着ていたのを覚えている。
しかし、それでも生活は厳しく、唯一ボーナスを貰ったときだけ食べに行ったのが、ある定食屋の塩ラーメンだった。
野菜がたくさんのった塩ラーメンを食べているあの時間
だけが、私たち家族の至福の時だった。…そう、夏と冬、二度だけの。

 今では兄弟も成人し、家族四人なに不自由なく暮らしている。
住むところはまちまちだが、そんなことを感じさせないほど、家族の絆は深い。…兄弟三人。
しかも年子で男ばかり。
これを、女手一つでここまで育て上げた母を、私は世界中の誰よりも尊敬している。

 そして、その定食屋はというと。…大変残念な事に、数年前に店主が癌で亡くなり、今はその形だけが残り、シャッターを下ろしている状態である。
しかし、今でもあの店の雰囲気と、四人で過ごしたあの時間を生涯忘れる事はないだろう。

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