また・・地震
宮城県などで7日、最大震度5弱を観測し津波警報・注意報が発令された地震では、石巻市で4669人、仙台市で2375人が避難するなど住民の大規模な避難行動がみられた。専門家は「東日本大震災の教訓が生かされた」と評価する一方、「避難意識は時間とともに風化していく」として、震災の伝承や防災教育の重要性を強調。
午後5時18分の地震発生から約20分後。仙台市宮城野区の仙台港に近い市立中野栄小へ住民が集まり始めた。市の広報車が避難を呼びかける中、住民は普段着にジャンパーをはおり、子供やお年寄りの手を引いて学校へ急いだ。ヘルメットをかぶり非常用リュックサックを背負った人もいた。
「震災を経験した住民の避難意識の高さが十分に生かされた」。
教頭先生はこう話す。
住民は教職員の誘導で校舎の外階段から最上階の4階へ。
4階が満室になると残りは3階へ誘導された。
計12教室で約600人がテレビのニュースを見守り、ストーブで暖を取った。警報は同7時20分に解除され、同43分までに全員が帰宅した。
1メートルの津波を観測した石巻市。市立開北小には発生約10分後から避難が始まり約700人が集まった。昨年の震災で避難場所の体育館が津波に襲われた事例があったことを教訓に、校舎の2、3階を避難場所に設定。校長は「車いすの方やお年寄りはエレベーターで上層階へ案内した」と話した。
一方、津波で壊滅した太平洋岸から3キロにある名取市の仮設住宅では、住民らがさらに2キロ内陸の大型量販店へ避難。仮設に隣接するパチンコ店からも店員が客30~40人を避難させた。仙台市若林区の仮設で暮らす会社員は「みな冷静に避難できたようだ」と話す。
石巻市の津波浸水域では防災行政無線が復旧していないため、地元のコミュニティーFMが臨時放送で津波警報を伝えた。仙台市は震災後、携帯メールで災害情報を伝える「エリアメール」を始めており、市消防局の課長「メールにより自主的に判断して避難を決めた住民もいたようだ」と語った。
防災情報機構の伊藤和明会長は「震災体験で高まった避難意識が今回の迅速な行動に結びついた。だが、こうした意識は風化する。継続させるには震災を語り継ぎ、防災教育を繰り返す必要がある」と指摘されています。