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俺の弁当のお話。

玉屋ブログ

嫁と去年離婚、息子は俺が引き取った
離婚の原因は夫婦の感情だけの問題で子供は関係ないが、理由はどうあれいきなり小学2年の育ち盛りのご飯を俺が作ることになった。

もともと学生時代は食堂でバイトしてたし料理は好きだ会社も家から近いので晩御飯なんかはそんなに苦ではないしかし弁当は違ったよ
なんせ量の加減が難しい決められたスペースにきっちり収めないといけないし
学校でほかの子に見られても恥ずかしくないようにいろどりも重要だ
毎朝5時半に起きてあーでもないこーでもないと頭をひねってた
でもそんな弁当がいつまでも続くわけでもなく3ヶ月ぐらいで俺は息子に500円玉をわたすようになってしまった…

そんな時に母の弁当を思い出した
前日の残りや冷蔵庫の常備のおかず(ひじきの炊いたのや漬物、佃煮とか)が微妙に前日とかぶらないようにアレンジが加えてあった弁当
俺は鶏のそぼろを混ぜた炒りたまごが大好きでそれがおかずの日の弁当は
「母ちゃん、メシきっちり詰めといてくれよ!」
と言ってずっしり重い弁当箱を持って通学してた。

何の気なしに食ってたあの弁当を思い出してまた息子の弁当を作り始めた母ちゃんが逝っちまって10年も経つのに驚くほど味を覚えてるでんぶや大葉やゆでたまごで色彩豊かにしてくれてたのも思い出した。
どうしても作り方のわからないものは姉に電話して聞いた・・・
「あーあれなー、あれ実はアタシの初恋の人に弁当作ったげようと思って
 母ちゃんに教わってたからよー覚えてんでー」
と、俺が知らなかった母と姉のエピソードまで聞いた。

息子が俺の弁当を喜んで持っていくようになった最近、
嫁から「やりなおしたい」って電話をもらった正直、なにをいまさらって気持ちもあったけど
息子がこのまま母の味を知らないまま大きくなるのはなんだかとても悲しいことのように思えた。

俺と嫁もまたまだまだ母ちゃんや父ちゃんの領域には達していないこれからも喧嘩やいざこざを繰り返していくかもしれないけどそれでも息子のためにもチャレンジを繰り返していかないとって思えた。

母ちゃんはこんなに大きくなった俺にまだ影響を残している嫁とこれからどうなっていくか、まだまだ不安もあるけどでも、俺も弁当のおかずは作りつづけようと思う。

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