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祖母のボケのお話。

玉屋ブログ

最近祖母のボケがひどくなって来たので、施設にお世話になる事になった。
発症は5~6年前で始めは物忘れとかど忘れみたいな感じだったのに
去年末あたりから家族の顔も名前も分からなくなり徘徊が始まったので
ああ、しょうがないよな…と思っていた。

祖母はうちから結構離れた所に住んでいて叔母家族が面倒みてくれていたのだが、
こんなことならまだ顔と名前を憶えてるうちにもっと会いに行けばよかったなぁ
と思いながら施設入り4日前に一度祖母に会いに行った。

祖母は俺の顔を見て「おはようございます、店長さん」と言ってきて、
あー、俺店長かー、と思いながらも脳以外は元気なようでニコニコしながら
店長になった俺と世間話をし始めた。

しばらくして急に「○○(俺の名前)ちゃん、磯辺焼き好きだったわねぇ、
今から作ってあげる」と急に俺の名前と、今も好きだが子供の頃大好物だった
磯辺焼きの事を言うと祖母は台所へ消えた。
さっきまで俺は店長だったのだが。

240 : 2/2 2011/04/27(水) 03:04:59.79 ID:N91aaxqS
で、しばらくして現れた祖母は皿一杯に磯辺焼きをのせてきた。
「○○ちゃん、10個はペロリと食べちゃうのよね~きっと大きくなっても
病気しないわね。たくさん食べてね!」と皿ごと俺に渡してきた。

もううちら家族の名前も顔も、一緒に暮らしていた叔母家族の顔も名前も
分からなくなっていたという祖母が何故か俺の名前を、そして好物だった
ものを思い出すとは、ちょっとビックリした。

ちょうど腹も減ってたし折角作ってくれたものだから俺は磯辺焼きをバクバク食べた。
その時、そういえば祖母は俺が遊びに行くといつも磯辺焼きを
大量に作ってくれたっけ、残すとちょっと悲しい顔するから無理してでも
全部食ってたっけなぁと思い出し、食いながら涙ぐんでしまった。

磯辺焼きを全て食べたところで「また作ってあげるから!バナナも食べる?
りんごもあるわよお煎餅も(ry」と言ってくれたがしばらくしたら
またボケた祖母に戻ってしまって俺は今度は市役所の人になってしまった。

帰り道、また作ってあげるからという言葉がなんか重く響いてまた泣いた。
もうあのちょっとしょっぱい磯辺焼きは作ってはもらえないのだ。
祖母が施設に入ってしばらくたったが、なんか泣きそうになるかもしれない
のでまだ会いには行けていない。
相変わらず脳以外は元気みたいなので近いうちに会いに行きたいなぁ。

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