新着情報

厳格な父のお話。

玉屋ブログ

お父さん、どうして勝手に逝ったの?あんまりだよ

前日まで、ひょうひょうとしていて仕事もバリバリしてたじゃない

何故?どうしてなの誰も、お父さんの苦しみに気がついてやれなかった

本当にごめんなさい

お父さんが死んでから地獄だった家族が皆、自分を責めてたんだ

妹も、弟も、母も皆、追い込んだのは私だ!とお父さんの写真も正視できなかった

あれから、時は過ぎたけど心のどこかではお父さんを死なせたのは私だ……と

罪を背負い続けてる

父が死んだとき、私の長男は4歳だった

厳格な父は、孫をも寄せ付けないほどの確固たる人だった

それがどういう訳か、この長男だけは可愛がってくれた

遠方に住んでいたから

父と触れあうなんて、年に数回だけなのに我が家の七不思議のひとつだったんだ

子ども嫌いが、何故?……と

父が死んで、49日を過ぎた頃……長男の前に、現れるようになった

長男が突然、部屋の角を指差し『じぃちゃんが、あんパン食べたいって言ってるよ』

私は、4歳の言っているだからと相手にしなかった。でも、あんパンは父の好物だった

数日後、また長男が

『じぃちゃんが、麻雀やりたいって』と言ってきた

確かに、父は麻雀が好きだったが……また偶然なんだろうと軽く流してしまった

そして、再び

『じぃちゃんが、じぃちゃんが!』

と長男が言ってくるので

苛ついた私は、『じぃちゃんは死んだんだよ!』と叱り飛ばしてしまった

長男は、それ以降、
何も言わなくなってしまった。

それから、数年後長男は小学校に上がり、長い休みに入ると

父が死んで、独り暮らしとなった母(祖母)の所に、泊まりがけで遊びに行くようになった

私は、お世話になることもあり

長男には、少しばかりのお金を持たせた祖母と一緒に、おやつでも食べなさいね……と

つい最近、母に言われたことがある

『この子ね、遊びにくるとおやつとか、惣菜とか買ってきてくれるんだけどね……

何故だかさ、死んだお父さんの好物ばかりを買ってくるのよ。

教えた訳じゃないのにさ。

この間はね

芋けんぴよ!お父さんの大好きなね。

今時の中学生が食べるオヤツかい?』

と電話がかかってきた

私の背中がビリビリっと電気が走った気がした

お父さんは、皆の側にいると確信したのだ、

何故ならば

この長男には、発達障がいがあり記憶力障害を持っている

つまり

例え生前、父に好物を教えられたとしても

記憶として残らないのだ

況してや、4歳の記憶力は健常児であっても、

鮮明には覚えてはいないであろう

長男に聞くと、側にじいちゃんはいないと言うばぁちゃんに何かを買ってこようとすると

何故か、その手にその商品を持ってしまうということだった

私の父は、長男を通して家族の側で見守ってくれていると

そう思ったとき

自死を遂げた父を受け入れ父は幸せでいることを感じ……

私たち家族が背負った十字架がシャボン玉のように

壊れて消えた瞬間だった

年老いた母は、長男がくると楽しみにしている

今日は何を買ってきてくれるのだろうと。

PAGE TOP