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阪神大震災後のお話。

玉屋ブログ

阪神大震災後のはなし。
当時オレはあるファミレスの店員をしていて、震災後、ボランティアでバイキングのみのメニューを無料で提供する事になった。

開店と同時に満席になって席待ちの列、繁忙期以上の忙しさだった。

お客さんの中には着の身着のままで来る人がいて、他のお客さんが「自分は家が残っているし、帰れば着る物がある」と言って。

上着を差し出す光景を時折目にして、目頭が熱くなったのを覚えている。

昼を過ぎた頃、待ち列の中にやたら身奇麗でアクセをジャラジャラ付けた若い男女二組がいた。
彼等は使い捨てカメラで撮影してはギャーギャー騒いでいた。

さらに彼等は皆が我慢して並んでいる中、「はやく席に案内してよ」と文句を言うばかりか、「席に着いたら、即ビール4つね」「わたしパフェたべたーいw」とワガママ放題。
見るに見かねてケンカ覚悟で退店願おうとしたその時、一人の御老人が「あんたら、観光に来たのなら、頼むから帰ってくれないか!」と涙ながらに訴えた。

すると彼等は「カンケーないよw」「ナニか言ってるーw」とケラケラ笑って茶化すだけ。

さすがに頭に来たオレが「申し訳ないですが、出て行ってもらえますか?」と啖呵をきった瞬間、オレの肩をポンと叩いて前に割って入る男性がいた。

男性は腕まくりをして見事な刺青を見せ付け、傍若無人な若者たちの前に立つと、「オイ、にいちゃんら はよおうちに帰って、テレビでも見とかんかい!」と一喝。

彼等は黙ってスゴスゴと、埃一つ付いてない国産高級車で帰っていった。

その後、ヤのつくヒトであろう男性は帰り際、
「店員さんはケンカしちゃいかんよ、そういうのはワシらの仕事やからw」
「食事ありがとう、おいしかったよ」と言って店を後にした。

その時の男性の埃まみれのパンチパーマにヒビの入ったサングラス、少し足を引きずって歩いて帰っていく姿が印象的だった。

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