新着情報

生きることはのお話。

玉屋ブログ

私は就職が上手くいかず、バイトを繰り返していた時期があります。
何をやってもダメで、だんだんと自分を精神的に追い込んでいったのでしょう。
精神のバランスが崩れて、死にたいと考えるようになりました。
高速道路で中央分離帯に突っ込んだら楽になるだろうな、などと考えたりするようになっていたのです。
仕事がなかった訳ではありませんし、ある程度充実していたと思います。
しかし、他の人が就職しているのに自分はフリーターで、何をやっているのだろうと思っていたのでしょう。
心のバランスが取れなくなっていったという自覚は持っています。
人と会うことが少なくなり、口数が減っていきました。目に見えて暗くなったと思います。

その時に私は家庭教師を頼まれていました。親戚の家に行っていたのですが、親戚と言っても遠い関係なのでその家のお父さんとは話したこともありませんでした。
ただ、家がお寺だということで住職だということは知っていたくらいです。
子供達にお父さんの印象を聞くとあまり良く思われていないらしく、ぶっきらぼうな回答が返ってきます。
勉強を教えることは楽しかったので、家庭教師はずっと続けていました。その当時は子供達に会うときが人と接する唯一の機会でした。
心の闇を抱えながら私は先生としてのクオリティを落とさないように気を付けて、勉強を教えていたと思います。

その後、それまで保っていた心のバランスが崩れてしまいました。
きっかけは友人が亡くなったことです。交通事故で亡くなったのですが、私の闇を知っていた友人がいなくなったことでバランスが保てなくなりました。
そんなときに、話したこともない住職と話す機会ができたのです。
子供の教育方針を話す機会だったと思います。
しかし、私はそんなことを話すほど余裕がありませんでした。
少し話を聞いてもらってもいいですかと言って、友人が亡くなったことや私が心のバランスを崩していることなどを話しました。

住職は何も言わずにただ聞いていて、私が話し終わるとゆっくり口を開きました。
生きることは食べることだというのです。
食べなければ生きられない食べているなら君はまだ生きられると言われました。
そのときに涙がこぼれてきました。
すごく悩んでいたことも苦しんだことも、関係ないんだと思えたのです。
私は生きているし、まだ生きられると思えました。
友人が叶えられなかった生きるということを、私はできると住職に言われてボロボロと涙を流しました。
食べるだけで生きられる、生きるというのは簡単なことなんだとそのときに気づいたのです。
gohan32 (1)

PAGE TOP